感想1

----自由の森で感じた感想----

1995.06.04

(・・・自由の森に保存)


コメント
 昨年6月、どうしたわけか、私は急に息子の学校「自由の森」で自分の文章を書き、これをコピーして、ビラとして配りたくなりました。ビラまきは学生時代以来、20数年ぶりのことだった。しかも、今回はひとりのビラまきだった。誰かに勧められたわけでもない。誰か仲間がいたわけでもない。ただ勝手にそうしたくなったのです。
 そして、この「自由の森」の場でミヒャエル・エンデや柄谷行人たちを交通(交流)させてみたい衝動に駆られたのです。その後、エンデは間に合わなかったものの、柄谷行人や浅田彰氏は来てくれました。
 私は、このとき、願うことの大切さを久々にたっぷりと経験したように思う。


1、はじめに
 私はもともと自森の教育に熱心な者ではありません。これまで自森にもあまり行ってません。しか し、もっぱら私個人の事情で最近になって初めて自森に興味が沸いたのです。
 ところが、10周年を迎 えた自森は、当初伸びきったバネがその反動で今や最も縮んだどん底のように思えます。そこで、もう いい加減そろそろこのどん底から這いあがって、次のステップに進めるように、誰かが勝手なことを言 いたい放題言ったほうがいいだろうと思い、感想を書いた次第です(つまり、皆さんもこれぐらい言い たいことがあったらどんどん言ったらいいという参考として)。

2、自森に対する印象
 私の長男が自森の中一に入学したのは4年前、創設7年目くらいでしょうか。
 1990年の秋、入学 説明会に参加した時のことです。とても印象的だったことは、参加した親たちの熱気・興奮ぶりに対し 説明する先生の側の際立った冷静ぶりでした。本来ならば、希望に胸を膨らませている親たちと共感し あってすごく盛り上がってもおかしくないのに、先生たちはむしろ、その興奮ぶりを抑制しようと、敢 えて言えば「そんなに希望を持ってはいけない」とたしなめんばかりの調子でした。何だこりゃあと、 参加した親の中には肩すかしを食らった方もいたと思います。しかし、私にとってはその沈着ぶりが何 か不自然でむしろ痛ましいものに思えてなりませんでした。
 のちに、ゴルフ場の環境汚染をめぐる集会に初めて参加した時のことです。その場で、突然、ゴルフ 場の開発差止の裁判をめぐる学校側の対応ぶりや途中で手を引いてしまった人たちに対するものすごい 批判、というより非難が始まったのです。私は、この感情むき出しの殆どつるし上げに近い非難にビック リしました。で、終わった後、残ったのは憎しみや空しさとかいった不毛な感情ばかりでした。さらに ビックリしたことは、先生たちが、これだけボロ糞言われても、ただ亡霊のように座っているだけで真 正面から発言・反論しないということでした。こういう全然噛み合わない対話、こういう何の前進も成 果も生み出さない対話、これはむしろ絶対やってはいけない対話の見本のように思えました。自由な解 放された気分など全然ない、不毛な対話がよりによってどうして自森で起きるのか、これもなんとも不 自然で痛ましいものに思えてなりませんでした。
 それと、自森で印象的なことだったのは、先生が親の前でする説明の言い回しがときとして極めて抽 象的になることでした。文部省の役人でもないのに、すごく漠然とした言い回しをする。だから、歯切 れが悪く、何を言いたいのか、ときとして全くつかめない。言葉を商売にしている人間にはすぐピンと くるのですが、こういう何気ない抽象的な言い方をするときに限って、実は極めて用心深いときなので す。決して真意を悟られまい、決して反論されまいといった意志が満ちているときなのです。しかし、 喋っている自森の先生には大臣や役人どものような悪辣さは感じられない。むしろ、おずおずとしてい て悲痛な感じさえ漂っている。こういう悲痛なまでも言葉を濁して発言しなければならない不自由さと 自由の森とはどう調和するのか、どうしてもっと率直になれないのか、なんとも不可解でした。

 しかし、この当時、私は自分の(勉強の)ことで精一杯で、自森のことや息子の勉強のことまで構っている暇なぞな かったのです。そもそも私ははじめから自森にそんなに期待していなかった。自森が私が飽きるほど散 々やらされてきた文部省の受験教育・管理教育から子供を守る砦となってくれるだけでもう十分だと思 っていました。あとは、自分の責任で勉強し、遊べばよいと思っていました。こうして、ふたり(父 子)はめいめいの渇望の命ずるままに生きていくことになったのです。

3、思わぬ誤算1
 しかし、ここで2つの思わぬ誤算に出会いました。
 ひとつは、とどまることを知らない息子の能天気ぶりです。
 当初、私はひそかにこう考えていたのです。確かに、自森に入った当初、その開放的な世界に目がくらんで羽目をはずすことがあるだろう、それはそれで仕方ない。しかし、幸いここには世の学校と違い、受験競争という重圧・抑圧が全くない。 だから、てっきり、いつか自分にとって本当に楽しく、意味があると感じられるような知的関心に目覚 めるときが来るにちがいない、と。しかし、もっか彼は依然完全なる自由の奴隷です。4年目に至って も、相変わらず見たいときにテレビのバライティやスポーツ番組を見、やりたいときにファミコンをや るといったあんばいです(勿論そればかりではなく、スポーツもやっていますが)。そして、知的問題 はただかったるい、おっくうだと言わんばかりです。5年前、NHKで「アインシュタイン・ロマン」 という番組をやった頃、ふたりで夜行列車に乗って、隣の列車を見ながら、光に関する相対性原理につ いて話しあったとき、彼が目を輝かして大いに感動して、一瞬、物理学者になろうと思ったという出来 事が夢のようです。私はそういうだらけた彼を見るたびに咄嗟に、自森の教育はいったい何をしている のかとよく思いました。しかし、或る時よくよく考えてみると、そもそも、そう思う自分が実は、自森 のことを、ここにいれば真の自己実現が今すぐにでも達成されるような、ユートピアか何かのような、 特別な世界であると自明視していたのではないかと気がついたのです。つまり、自森は個人の尊厳・個 人の自由の尊重に立脚して世の受験教育・管理教育を排除するという(これ自体とても貴重な)場所で はありますが、しかし、反面、それはそれだけのことでしかない。そして他方で、何をやっても基本的 にはいい、という自由(=自由という恐ろしい刑罰)が与えれているため、だから、自森の生徒は(テ レビにせよファミコンにせよいじめにせよ万引きにせよ)、はからずも徹底的に現在の日本社会の申し 子になっている。なまじ受験勉強でいろいろ自己規制を余儀なくされている他のハンパな連中より、自 森の生徒こそ、遊びにせよだらけることにせよ、この能天気でふやけた日本資本主義の姿を徹底的に映し出す鏡のようなものになっている。私は自森に対する自分の認識をこの際、そう根底から変更しなけ ればならないと思ったのです(もっとも、私のイメージする日本資本主義というのは、藤原新也の「東 京漂流」に出くるような光景です。いわば、全てを達成して、あふれる豊かさの中で、あとはただ爛熟 して腐敗していくばかりの光景です)。そして、もしそうだとすると、自森の生徒こそ実は自森の掲げ る理想からもっとも隔たっている(大変な)連中なのではないか、少なくともそのような腹構えで彼ら と取り組む必要があるのではないか、そうすると、そこでもし、ここでそのような大変な彼らが個人の尊厳に目覚め、生きる意欲を実感できたとしたらそれはものすごいことなのではないか、とさえ思えてきたのです。
その意味で、自森という場は、タガがはずれて日本資本主義の徹底的な申し子になってしまった連中に生 きる力を吹き込むというはからずもものすごく大変なことを試みる実験場なのだと分かったのです。そ れ以来、私は自森の先生を非難する気持ちがなくなりました。

4、新たな誤算2
 もうひとつの誤算は、全然進展しない私自身の勉強ぶりです。
 私は、司法試験も含めてギネスブックに乗 るような惨憺たる受験勉強を長期間強いられてきたものですから、四十になって自分でしたいと思った 勉強(数学・物理)をしようと思ったとき、今度こそ自分の意思でやりたいことをやるんだから、きっ と思う存分やれるにちがいないと確信していたのです。
 また、「数学とはひねくれたむずかしいもので はなく、その反対にバカバカしいほど簡単な事柄を根気よく積み重ねたものにすぎない。我々はひねく れるために数学を学ぶのではなく、もっと素直にもっと大胆になるために数学を学ぶのだ」という遠山 啓の言葉に従って数学と取り組む積りでした。
 しかし、現実は全くちがったのです。何だか、とにかくル ールを教えこまされているだけという感じだけで、数学がちっとも明晰に分かるようにならなかったの です。書いてある論理を一生懸命理解し、追いかけていくのですが、途中から頭がモヤモヤしてきて、 論理についていけないのです。のみならず、数学の書物を読み進んでいくと、その抽象的で索漠とした 数学の世界に、頭から冷や水を浴びせ掛けられるような仕打ちを受け、殆どノイローゼにならんばかり に気が滅入りました。この体中の血が凍えるような、身が凍りつくようなそらぞらしい空虚感に耐えか ねて、ついに数学書を読み続けていく気力を失いました。その揚げ句、しょっちゅう発熱しました。こ うして数学をいったんあきらめて物理に切り替えたのですが、これまた全然うまく行きませんでした。 授業を聞いても入門書を読んでも、私が感じたいと思っている不思議に満ち満ちた深遠な自然的実在を 少しも感じさせるものではなかったのです。単なる冷ややかな形式的なゲームにすぎないという印象で した。
 私は何か裏切られたような思いでした。そして、その欺かれたという思いを語れるような人物を 研究者や大学院生たちに求めましたが、残念ながらそういう人物はいませんでした。彼らは(むろんみ んな私より若い連中でしたが)ハッキリ言って老人でした。「老年」を明らかに感じさせるような雰囲 気の人たちでした。彼らには未知の知的冒険に夢中になっているといった躍動感はありませんでした。 単に、これまでに敷かれたレールに乗っていけるところまでともかく行ってみようといった「老人」的 雰囲気でした。で、こんなところにいてもしゃあないと、私はヤケのヤンパチであとは滅茶苦茶やるしかな いと思い、研究室を飛び出しました。
 その後、色々な目に会って、ようやく、私が直感的に直面していた数学に対する悩みというものが 実は数学・物理の根本的な問題にかかわるものであること、もっと言えば、現代科学が行き着いた先で 明らかになった非人間的な正体にかかわるものであることを、「モモ」の作家ミヒャエル・エンデから 教わりました。彼から、ガリレオ・ニュートンから始まった科学は単に歴史的なものにすぎず、決して 普遍的なものではないこと、今や人類を40回も殺戮できる力を有しながら、しおれたたった一本の草 花の命さえ蘇らせることのできない無力な科学に代えて、再び世界を人間の尺度で計り直して作られる 新しい科学を探究する必要があること、その中でしか我々の安住できる世界は見いだせないことを教え られたのです。
 前々から芸術と科学の共通点をうすうす感じていましたが、このとき、私は科学というやつは 芸術という観点から徹底的に見直すしかないという気持ちになりました。そしたらふと、数学などに知 的関心が全くない我が息子や自森の生徒たちのことが思わず浮かんだのでした。ひょっとして、彼らこそ、受験勉強のしがらみから解放された彼らこそ私が味わったのと同様な、砂を噛むような味気ない経験をして いるのではないかと思ったのです。そして、ひょっとして、彼らこそ実は、数学や理科などの授業を通じ、世界を眺める目が変 わり、彼らの憧れをたっぷり満たすような経験を願っているのではないか。もしそうだとすれば、芸術 と同じような人間的な尺度で作られた新しい科学は、真っ先に(受験勉強のしがらみのない)自森の生 徒に受け入れられるのではないだろうか。逆に言えば、自森という場でこそ、生徒と先生(とついでに 親・外部の研究者たち)が一緒になって、生徒たちがあたかも歌の合唱で全身全霊で感動したように、 科学の授業においても全身全霊で感動することができるような科学を模索していくことができるのではないかと 思ったのです。すると、ひょっとして、この模索ぐらいわくわくするものはないのではないかという気すらしたのです。なぜなら、このような場でこそ、生徒一人一人がこれまで口にできなかったような素朴な憧れや謎をどんどん出してそれをあれこれ模索・探究することができるからです。
 たとえば、命は目に見えないものですが、新緑の葉を眺めていると、その緑の色に命が輝いていると感 じないではおれない。では、色はこの命を一体どうやって表現しているのだろうか?
 あるいは、私は光が大好きです。雨上がりの雲の隙間から差し込む光にはただうっとりします。では、 なんでそんなに光に心ひかれるのだろうか?光は見ることができるようで、物を見るように見ることは できない。すごく早いようで、また止まっているようにも見える。つかむことができそうで、実はホン トにつかんだのかよく分からない。そういうえらくケッタイな光とは一体どんな存在なのだろうか?こ の光より速いスピードのものがないのはどうしてなのか?光は誕生することがあるなら、死ぬこともあ るんだろうか?光も年とるのだろうか?年とると光も元気がなくならないのだろうか?
 私だったら、むずかしい物理の公式なんかよりもまずはこういったことが知りたいのです、或いは考え 続けていきたいのです。なぜなら、これらの謎は私の憧れ(=ポエジー)に深くかかわっているからで す。このような憧れが満たされることが(正確には、満たされるよう努力を重ねることが)、私の生き る力となるからです。もし、こうした色や光の謎が分かったとき、私は自分が木々や太陽と親戚である ことがたっぷり実感できるかもしれないと、ひょっとすると自分がなんのために生まれてきたのか分か るかもしれないとすら思うのです。

5、私の試みと懸念
 以上の通り、私の現在の関心は科学の具体的な中身を考えることではなく、科学とは何かを考えることです。
 はっきり言って、我々は、人類を40回も殺戮できる力を持つに至った科学を今もなおナイーブにその まま学ぶことなぞ出来ない筈です。科学の研究者たちが若くして「老人」であり、私の息子らが科学の 授業を忌み嫌うのは或る意味で当然のことです。だから、私としては、たとえ困難に満ちたものになるにせよ、自森の場で、芸術の場合と同様に、世界をあくまでも人間の目(=尺度)というもので捉え直した科学というものを探究し続けていくしかないのではないかと思うのです。
 これに対し、きっと、そんな無謀な!と思う人がいるかもしれません。しかし、そもそもニッポンに自森が出現したこと、これが無謀でなくて何でしょう。私にとって、これは或る意味で、生命体である地球が出現したことと同じくらい殆ど奇跡に近い出来事のように思えるのです。
 また、今では科学の優位というものを誰も 疑いませんが、しかし、今から四百年前、科学を標榜したガリレオはキリスト教会に対し孤立していた筈です。だから、我々もおかしいと思ったことは、ガリレオと同じようにたったひとりだとしても、「科学」教会に対し、異議申立を続ける しかないと思うのです(それがまた自立であり、自由の意味でもあります)。しかも、ガリレオとちがって、幸い我々にはミヒャエル・エンデや柄谷行人な どの先行者がいます。

 そこで今、私が懸念していることは、現在の自森にスモッグのように蔓延していると思われる「萎縮」病という病です。つまり、先生や親たちが萎縮して、現在の自森の教育の理想や現実について率直に遠 慮なく語り合うという雰囲気が失われているのではないかという懸念です。そのため、(日本の古来か らの悪しき)事なかれ主義の雰囲気やその裏返しの楽しくワイワイやれればいいといった雰囲気に流れ、ひとたび暴力事件などの事件が勃発するとすっかりおたおたするという危険を感じます。
 私自身、かつてシュタイナー教 育の盛り上がった時期に一時その運動に関わった時の体験から想像するのですが、自森が日本に出現し たことは、これを長い間待ち望んでいた沢山の人たちの胸に激しい火をつけたと思います。だから、自 森が始まったとき、そこはおのおの理想を実現しようとする人々がせきを切ったようにあふれかえり、 あたかも理想の坩堝のような場だった筈です。それは奇跡が出現したあとの殆ど「お祭り」のような、 非日常的な時間であり、殆ど熱にうなされるような時間だったのではないでしょうか。しかし反面、そ れはどの理想を採択するかといった理想の実現をめぐる闘争の場ともなり、それは理想をめぐる争いが故に、他者と妥協を許 さぬ熾烈な闘争の場ともなったのではないでしょうか。そのため、自分の理想が受け入れられないと思 った人たちは思わず憎しみに駆られ、ののしりに近い非難にまで及んだのではないでしょうか。そのた め、こういった理想をめぐる際限のない闘争・罵倒で沢山の人たちが消耗し、萎縮して、だんだん当初 燃やしていた理想の火を消したり或いは用心深く奥にしまい込むようになってしまった、そして萎縮の 末、仕舞いには誰も公然とは率直に理想を語らなくなったのではないでしょうか(かなり一般的・図式 的な説明ですが)。
 もしそうなら、そこには「理想」というものに対する誤った思い込みがあるように思えてなりません。 そもそも「理想」とはこれまで一度も実現されたこともなければ、今後とも実現されるものでもな いと思えるからです。だから、相手の理想が実現されて、自分の理想は採用されなかったなどと嘆くこ ともない筈です。我々は理想を目指して努力するが、しかし現実に実践する行為というのはいつもその ときそのときの状況で夢中になって考え、おこなったぎりぎりの決断のようなものです。だから、理想 をめぐってそんなにムキになることはない筈です。
 しかしだからといって、理想なんかなくてもいいのかというと、そういう訳にはいかないと思います。 なぜなら、我々の世界には絶えざる矛盾・葛藤があり、それゆえ我々はこれらの矛盾を克服しようと行 動する以上、その支えとなる「理想」なしにはどうしても生きていけないからです。その意味で、いつ でも「理想」について率直に語れる場があるということはすごく大事なことです。そして、自森の出現に大きな意義があるとすれば、それは「理想」について率直に語れるというニッポンでも希な場だったことにあるのではないでしょうか。
 ということで、自森 で再び公然とは率直に理想を語れるようになることはどうしても必要なことだと思うのです。しかし、 大変な消耗を経験してきた我々としては、ここで大事なことは、以前のように、ひとたび理想を語り始 めると他者の人権のことなぞぶっ飛んで、相容れない立場の人に対し感情に走って罵倒しあったり、言 葉尻を捉えるような消耗な対話をくり返すのではなく、もっと肩の力を抜いて(しかし、抜きすぎてた だだらけてしまうのも困りものですが)、今の自分たちの現状を率直に認めた上で、そこから出発して 一体どんなことができるのかを明らかにするための対話を心がけることだと思います。そのような対話 だけが、そこでめいめいがもっと深く考え、もっと広く眺められるようになれる対話だと思うのです。 自森のこれまでの10年というのが、自森という奇跡の出現に人々が熱にうなされ、祝祭のような気分 で無我夢中で関わってきた10年だとすれば、これからの10年は祝祭の終わった後の平凡な10年と して(但し、世界情勢は激動の10年の筈ですが)「認識においては悲観主義者、実践においては楽観 主義者」として粘り強く、持続的に理想について考え続けていきたいと思っています。
 ごくごく大ざっぱな第1回目の感想でした。
 雑文をここまで読んでいただいてありがとうございました。

(1995年6月4日 H1 T・Y)
(NIFTY-Serve PXW00160)

Copyright (C) daba