「ときめきメモリアル・メモリーカード」事件(二審)

----ACCS事務局長久保田裕氏の意見書----

7.7/98


コメント


 人気ゲームソフト「ときめきメモリアル」の内容が無断で変更されたとして、ゲームのデータを保存したメモリーカードを輸入販売した「スペックコンピュータ」を相手に、損害賠償と謝罪広告を求めて、大阪地裁に提訴。
この事件の控訴審における第三者の意見書。

この書面は、コンピュータソフトウエア著作権協会(略称ACCS)の事務局長久保田裕氏が、コンピュータソフトウエアやデジタル著作物の著作権保護についての専門的立場から、本件裁判に対するコメントを述べたもの。

*なお、ホームページ上で見やすいように、適宜、段落で区切ってある。

事件番号 大阪高裁民事第八部 平成9年(ネ)第3587号 著作権侵害損害請求控訴事件 
       一審:大阪地裁民事第21部 平成8年(ワ)第12221号 損害賠償等請求事件
当事者   控訴人(原告)   コナミ株式会社  
       被控訴人(被告) スペックコンピュータ株式会社
            
一審訴提起     96年11月27日
一審判  決      97年11月27日
控訴提起       97年12月8日 


意 見 書 

久保田 裕

1、 略歴
  私は、 1956年生まれ、1988年よりソフトウエア法的保護監視機構活動を開始し、1990年、コンピュータソフトウエア著作権協会(略称ACCS)の設立に参加し、翌91年、ACCSが社団法人となると同時にその事務局長に就任し、96年にはACCSの理事に就任、現在、ACCSの専務理事・事務局長をやっております。
 ACCSでの仕事として、主に講演、執筆、審議会の委員などの活動を行ない、講演については、コンピュータソフトウエアやデジタル著作物の著作権保護について、専門的立場から年50回ほどの講演を、情報処理関連教員の研修機関、全国の教育委員会主催の研修、裁判所書記官研修、その他企業、団体などで行なっています。
また、執筆活動については、主に以下のようなものがあります。
 ・月刊誌「bit」に「知的財産権ファイル」を連載中
 ・「ビジネスコンピュータニュース」に「視点」を連載中
 ・共著「ソフトウェア法務の上手な対拠法』(平成7年民事法研究会)
 ・ 共著「知的所有権(著作権)の国際的ハーモナイゼーションの推進方策に関する調査報告書(平成6年版)(平成7年版)」
 ・裁判実務大系27「知的財産関係訴訟法」(青林書院)に執筆。
 さらに、現在、以下の委員会の委員を務めています。
 ・ 文化庁 著作権審議会 
 ・ 文部省 社会教育施設情報化・活性化推進委員会 
 ・ 文化庁 権利の執行に関する協力事業協力者会議 
 ・ 文化庁 コンピュータプログラムに係る著作権問題調査研究協力者会議(平成6、7、8年度)

2、今回の裁判の持つ重大な意義について
 本件では、問題点のひとつとして、本件ゲームのプレイヤーが演じる主人公のパラメーターの数値を、他人が勝手に捏造して数値を書き替えてしまうことが著作権法的に見て問題がないかということがあります。
 このような、もともとゲームソフトの制作者が一定値に設定しておいたパラメーターの数値といったものを他人が勝手に書き替えてしまうケースは、ゲームソフトの業界では、これまでも、「無敵の裏ワザデータ郎」や「Xターミネーター」といったデータ改変を行う装置やソフトウェアのかたちで制作・発売されてきた経緯があり、このことはゲームソフトの制作者にとって深刻な問題であったため、それゆえ、今回の訴訟の行方に大きな関心を寄せてこれを見守っている状況です。
 現に、先ごろ、5月25日に行われた著作権情報センター主催の講演会でも(これはそのときどきの最も重要な著作権の問題を演題にして取り上げる講演会ですが)、このときの演題が『インタラクティブ影像と著作権――「パックマン」から「ときめきメモリアル」まで――』でして、そこで、本件の「ときめきメモリアル」裁判のことが取り上げられ、ゲームソフト、さらにはマルチメディアタイトルのようなインタラクティブ性を特徴とする著作物において同一性保持権行使の可否について問題提起がなされ、聴講者からもこの「ときめきメモリアル」裁判の問題をめぐって質問が集中的に出されました。講演者にとっても、また聴講者にとっても、今回の「ときめきメモリアル」裁判の問題がいかに切実な問題であるか、その一端が窺われるような講演でした。
 また、今回の「ときめきメモリアル」裁判の一審判決は新聞、知的財産権関係あるいはゲームソフト業界の雑誌等で取り上げられ、私の知る限りでも、知的財産権関係の雑誌である「発明1998年4月号」(甲第16号証)、SOFTICの情報誌「SLN 1998年1月26日号」(甲第17号証)で詳細な報告がされていますし、ほかにも、ゲームソフト業界の雑誌新聞である「ゲームマシン1998年1月1・15日」(甲第18号証)や「パテント1998年4月号」(甲第19号証)にも紹介されています。
 なお、当協会ゲームソフト諸問題委員会においても、今回の「ときめきメモリアル」裁判の問題点をゲーム企画、製作者の基本的問題として検討を予定しております。
 以上の通り、今回の「ときめきメモリアル」裁判は、ゲームソフト業界にとってはもちろんのこと、知的財産権関連業界全体にとっても、裁判で問われている問題は単にゲームソフトにとどまらず、凡そコンピュータを使ったデジタル著作物の保護のあり方に重大な影響を及ぼすものとして、著作権法学会をはじめとする様々なところで、知的財産権関連業界全体にとっての重要な事件として大きな注目を集めております。

3、 本裁判を適正に審理するために是非ともやっていただきたいこと
 普段からゲームソフトの著作権法上の保護のあり方といったものを考えている者として、いつも痛感することのひとつが、これまでの裁判の判決例が、一方で、プログラムとデータを画然と区別した上で、プログラムに該当するものだけを保護するという発想に立つこと、その結果、つい、凡そデータといわれるものは押し並べて一律に保護に値しない扱いにしてしまう傾向があること、他方で、ゲームをモニターにアウトプットした際に得られる映像を映画の著作物と構成してしまった結果、ゲームソフトの著作物を押し並べて映画著作物と同一のレベルで考えてこと足れりとする傾向があることです。
 その結果、たとえば、今回、問題になっている主人公のパラメーターの数値などは、これを機械的に「お前はプログラムなのか、それともデータなのか」と問われて、「データである」と答えようものなら、直ちに「では、著作権法上保護に値しない」と機械的に結論が導かれてしまうことです。しかし、以前、ゲームソフト業界で空前の大ヒットを飛ばしたロールプレイングゲーム「ドラクエ」シリーズを制作したゲームデザイナー堀井雄二氏について紹介した雑誌「アエラ」(96年3月18日号)(甲第20号証)の記事で、堀井氏のデータの扱いについて、このように紹介しています。

  「モンスターとプレイヤーの強さ、この城の近くではスライムと大なめくじをどういう設定で出
   すか、モンスターの出現確率も全部堀井さんが決めている」
   プログラマーの山名学がいう。ゲームバランスを取らせると堀井は天才的というのがスタッフ
  の評価だ。
   データはただの数字の山。単に数学的な確率論を応用すると平凡なバランスになる。山名は
  こう続ける。
  「プログラムを入れてみると、ゲームに血が通っている。堀井さんは数字を読みながらゲームイ
   メージを正確に捉えることができる」と。 

 その意味で、ゲームに血が通うかどうかは、パラメーターの数値といったデータの設定の仕方如何が決め手なのです。つまり、一口にデータといっても様々なものがあって、ここで堀井氏が扱っているような、ゲームソフトの面白さを殆ど決定するような核心をなすデータ(その意味で、ゲームのプログラムよりも重要であり、大切な意味を持つデータ)もあるのです。だから、ゲームソフトにおいてデータが取り沙汰されているときには、果してそこで問題になっているデータの価値・意味といったものがどういうものなのかを適正に評価する必要があると思います。そして、そのようなデータの持つ価値・意味を適正に評価するためには、やはり、実際にゲームソフトを制作する者が、制作にあたって、どういう面白さを実現するために、いかなる工夫をデータ設定に際してこらしたのか、彼らの声に耳を傾けて、そのあたりの具体的なイメージを是非とも的確に把握しようとすることが大切だと思います。さもないと、「そのゲームソフトにおけるデータの生きた価値・意味」といったものを把握しないで、極めて抽象的な単なるデータ一般のレベルのところでしか理解しないまま、結局のところ、「データは保護に値しない」といったドグマでもって結論を導いてしまう危険があると思われるからです。

 もうひとつの危険な傾向は、前述した通り、ゲームソフトの著作物を押し並べて映画著作物と同一のレベルで考えればこと足りるのだとする点です。その結果、たとえば、今回、問題になっている主人公というのは、被告のメモリーカードによってパラメーターの数値が極めて高くなり、超人並みの人物に変身してしまうのですが、しかし、これを映画著作物と同一のレベルで考えていると、実はこのことがよく分からないのです。なぜなら、いくら主人公は変身した変身したと言ってみても、この主人公は画面上には一度たりとも姿を現わしたことはなく、その意味で、伝統的な映画著作物に馴染んだ者の目には、どこにも変身した主人公なんて現われないからです。だから、映画著作物と同視してこと足れりと考える者にとって、画面上一度も姿を現わさず、一度も見えない主人公は存在しないもひとしいのです。しかし、本件のゲームにおいて主人公は確かにいるのです、いわば画面上とプレイヤーの間(はざま)に。このように、画面の外に、「画面上とプレイヤーの間(はざま)」のような特異な場所に主人公が存在することを可能にしたのが、伝統的な映画著作物ではあり得なかった、ゲームソフト著作物に固有の「インターラクティブ」というものです。その意味で、ゲームソフト著作物の表現形式上の創意工夫の仕方というものを正しく理解するためには、「インターラクティブ」というものの特性を踏まえて、ゲームソフト著作物の構造を理解する必要があるのです。ところが、映画著作物と同視してこと足れりと考えると、この「インターラクティブ」性の点が抜け落ちてしまい、ゲームソフト著作物の正しい構造が把握できず、その結果、たとえば、本件ゲームソフトでは主人公は存在しないもひとしい、だから、「存在しないも等しい主人公が変身したからといってそんなものでは著作物の改変だとは言えない」といった評価が導かれてしまう危険があるのです。
 そこで、ゲームソフト著作物に固有の「インターラクティブ」というものの特性を踏まえて、ゲームソフト著作物の構造を正しく理解するためには、ここでもやはり、実際にゲームソフトを制作する者から、制作にあたって、どういう面白さを実現するために、いかなる工夫を「インターラクティブ」を含めた作品の構造においてこらしたのかを、つぶさに聞いていただき、この点をリアルに把握することが是非とも大切だと思います。というのは、私自身が、当初たいして宣伝も何もしていなかった本件ゲームがかくも大ヒットした理由の秘密の一端が、実際にこのゲームを楽しんでみて、分かったような気がしたのです。それは、このゲームの「インターラクティブ」性の工夫の仕方にあると思ったのです。つまり、一口に「インターラクティブ」性といっても、それがシューティングゲームみたいに主人公という形態まで取らないケースもあれば、前述の「ドラクエ」シリーズみたいにプレイヤーが演じるべき主人公が画面上キャラクターとして登場するケースもありますが、本件ゲームの特徴は、それが主人公としてちゃんと設定されているにもかかわらず、画面上には現われず、画面上に現われる憧れの女生徒たちが話しかけてくる、まさしく画面のこちら側にいる存在として設定されたという点にあります。そのため、もし「ドラクエ」シリーズみたいに主人公が画面上キャラクターとして登場していれば、そこでは単に、画面上で、そのキャラクターと憧れの女生徒同士が向かい合って、会話のやり取りをするのをプレイヤーが画面の外から眺めるというありふれた構図になるのに対し(もっとも、本件ゲームでも、たとえば、日常コマンドを実行中の画面とか運動会の競技のときなどは、主人公がキャラクターとして登場します)、本件ゲームでは、画面上登場した憧れの女生徒たちが画面上真正面を向いて、画面の外に存在している主人公に向かって直々に話しかけるという構図が可能になるのです。これは、実際に経験してみると分かるのですが、実に生々しいのです。つまり、憧れの女生徒たちがほかならぬ自分(プレイヤー)だけに向かって直々に語りかけてくれる、という経験をするのです。その意味で、このような密かな経験を可能にしてくれた、本件ゲームソフトの「インターラクティブ」性の工夫の仕方こそが、大ヒットの理由のひとつだと思いました。そして、自分の直感が正しいのかどうか、実際に、このあたりのことを本件ゲームソフトを制作した人たちからつぶさに聞いてみたいと思うし、またそうしないとひとりよがりの独断に陥る危険があると思いました。

 以上、今回の裁判に関連し、普段から思っていることなどを率直に陳述しました。
 

        平成10年6月29日
                      
                   社団法人 コンピュータソフトウエア著作権協会
                 
                              専務理事  久 保 田  裕
   
弁護士 柳原敏夫 殿

以上

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