「煮豆売り」無断複製事件

----98年6月22日原告の陳述書(1)----

6.22/98


コメント
 
 原告自身が書いた本件紛争に関する書面。
 速やかな判決を求めるため、事前に用意し、訴状提起と同時に提出。

事件番号 東京地裁民事第29部 平成10年(ワ)第14180号 著作権侵害差止等請求訴訟事件
当事者   原 告 三谷一馬
       被 告 株式会社 新橋玉木屋
            
訴えの提起    98年6月25日
判決        99年9月28日


陳 述 書 (1)

原告 三谷 一馬  

1、 略歴
 私は、 明治45年3月16日に、香川県高松市で生まれました。家は古くから歌舞伎芝居などの背景画や小道具、看板等を描く仕事をしていて、小さい頃より絵に興味がありました。昭和9年に上京し現在の東京芸術大学、当時の東京美術学校日本画科専科に入学しました。そこでの授業は「実技」と共にそれまでの日本の伝統絵画法といっしょに「美術史」「美術解剖学」などヨーロッパからの概念を教えられ学びました。昭和14年卒業し、戦前は「帝展」を始め日本画家として多くの公募展に出品していましたが、日本画の伝統的な題材よりも庶民の生活に興味を持ち、挿絵画家を目指しました。挿絵を描きながら、ここ30年来、江戸風俗の資料画を描いています。

 また、国立劇場で歌舞伎の並木正三作「桑名屋徳蔵入船物語」鶴屋南北作「盟三五大切」の時代考証を担当しました。

主な挿し絵作品 岡本 綺堂著「半七捕物帖」(青蛙房刊
土師 清二著「足軽鶴亀」(産経新聞社連載)
村松 剛著「冷めた炎」(日本経済新聞社連載)
三田村 鳶魚全集(中央公論社刊)
主な画集 昭和38年5月「江戸商売図絵」(青蛙房刊)
昭和48年「江戸吉原図聚」(立風書房)
昭和50年「江戸物売図聚」(立風書房)
昭和52年「明治物売図聚」(三樹書房)
昭和53年「彩色江戸物売百姿」(立風書房)
昭和59年「江戸商売図聚」(三樹書房) 
昭和63年「江戸年中行事図聚」(立風書房)等を執筆刊行。

 昭和48年、「江戸吉原図聚」で第1回日本作家クラブ受賞。
 昭和62年、「江戸庶民風俗図絵」「江戸職人図聚」等で第21回吉川英治文化賞受賞。
 また、現在日本文芸家協会と日本出版美術家連盟の会員として所属しています。
  
2、「江戸商売図絵」の執筆について
 昭和38年5月25日に出版した「江戸商売図絵」(発行青蛙房)は江戸時代の庶民風物の一つ「物売り」を取り上げました。
江戸時代、様々な商人が辻々を歩いて商いをしていました。

私が岡本綺堂著「半七捕り物帳」の挿し絵を担当しはじめて庶民生活を知る上で「物売り」の姿と町の風景の関係が大切なことに注目しました。

そして、江戸時代の錦絵,絵本,黄表紙,合巻人情本,滑稽本など大衆読み物に描かれている庶民の姿を収集しました。
その中に出てくる「物売り」の商人達を確かな資料と風俗の考察を基に、自らの手法と解釈を加え、画集にしたのです。これが「江戸商売図絵」の執筆の背景といったものです。

3、 本件絵画の制作の経緯
 今回、問題にしている「江戸商売図絵」に収められた「煮豆売り」の絵(以下本件絵画といいます)は、出典「教草女房形気」の絵(甲第七号証。以下本件原画といいます)を参考して描いたものですが、本件原画の特徴として、
@人物と左右の荷箱がバランスを欠き、安定感がないこと、及び
A人物のあごを前に突き出し、極端な猪首(首は肩にめり込んで見えない)、盛り上がった肩、二の腕が短くかつ体に引きつけられているポーズといったふうに人物が不自然なポーズで描かれている点があげられ、
その意味で、本件原画は極端にデフォルメされています。そのため、確かに力強さは強調されていますが、しかし、これは大変不自然な姿です。

 これに対し、私は、本件原画のデフォルメの不自然さを改めようと考え、人物を@バランスあるポーズとA自然な形で描こうと思いました。そのため、人体比例(例えば八頭身が身長と頭の割合を8対1と数量的に捉えるものであるように、人体の部分と部分、部分と全体の関係を数量的に捉えて描くことをいいます)と一視点から見た遠近法を基にして描くことにしました。以下に、この点について、少し詳しい解説をしようと思います。

@人物や荷箱のバランスについて
 本件原画では、人物と前の荷箱と後ろの荷箱とで各々描いている視点がちがうのです。つまり、前方の荷箱の左かどに天秤棒がきており、これでは安定して荷箱をつるすことなどできません。さらに、後方の荷箱も右にずれて描かれているため、この荷箱もまた安定してをつるすことができません。

 これに対し、私は、バランスのとれた安定感ある「煮豆売り」を描くために、ひとつの視点からの構成にしました。つまり、人物を中に置き、前方と後方の荷箱の中心に天秤がくるように描いたのです。その結果、前述の通り、本件原画で「前方、後方とも荷箱が右にずれて描かれている」のが私の絵では写実的により左側に描き直され、その分、人物の左ひざを描くことになり、それが人物の荷箱を担ぐ姿に一層安定感を与える結果となっています。

A人物の自然な姿について
 人物自体の描き方についても、前述した通り、本件原画では、力強さを強調する余り、極端にデフォルメされているのに対し、私は、できるだけ写実的に自然に見えるように描こうとしました。

 つまり、本件原画では髪の生え際の曲線が衿(えり)に密着し、そのため極端な猪首(首は肩にめり込んで見えない)となっているのに対し、私は、髪の生え際の曲線と衿の間に空き間をもうけることにより、首を感じさせるような描き方にしました。

 また、本件原画では、猪首のため顔を傾ける角度が仰角になり、あごを前に突き出す不自然な動きになっているのに対し、私は、首の長さ分だけ頭が高くなり、その分顔を傾ける角度が浅くなって、軽く顔をかしげる自然な動きになっています。

 さらに、本件原画では右肩が天秤棒の中ほどまで盛り上がって(こんなことは実際上あり得ない訳ですが)描かれ、左肩も盛り上がった風に描いて、いわば両肩を怒り肩にして力んだ表現となっているのに対し、私は、くつろいだ姿にするため、右肩は天秤棒の下に描き、左肩も盛り上げず、全体として力んでいない表現にしました。

 そして、本件原画では、手や脚については、メリハリのある輪郭線で角張った動きを感じさせる描き方をしているのに対し、私は、のびのある輪郭線で手や腕や脚をすらりと描きました。とくに腕については、本件原画では二の腕を短く描き、なおかつ、ひじを体に引き付けて描いているため、ひじは袖の中に入っています。また、手首は深く曲げ、手は天秤棒をしっかりと握らせ、その結果、全体としていわば上半身に力を凝縮させ、緊張感を描き出しています。これに対し、私は、二の腕をとくに短く描くことはせず、前腕の長さとほぼ同じにし、ひじも、とくに体に引き付けて描くことはせず、余裕をもって曲げている風に描き、そのため、ひじは袖の外に出ています。また、手首も、深く曲げて描くことはせず、軽く曲げて描き、さらに、手は天秤棒をしっかりと握らせることはせず、手を天秤に添えている程度に軽く握らせて描き、その結果、全体としていわばリラックスした感じを表現しました。

 また、本件原画では、太股・膝について、ゴツゴツした輪郭線で描き、脚全体はひょうたんを思わせるような、メリハリの効いた形にし、そして左右のかかとは地に付け、足は甲高に左の親指に爪を描き、深く指を折り、加えて、両足の向きも八の字に開いており、その結果、力強く大地を踏みしめている表現となっています。これに対し、私は、右の腕や手の場合と同様すらりと描き、左足のかかとはわずかに地面からあがっており(ゆっくり歩いている感じを出すためです)、足は甲高にせず、指の爪は省略し、また、深く指を折ような描き方はせず、すらりと描きました。加えて、両足の向きも八の字に開いておらず、前方に向かってほぼ平行になっているように描きました。その結果、全体として、軽い印象を与えることになったのです。

 また、本件原画では、着物の半纏について、強弱ある直線的な表現と上半身のしわや輪郭を細い白線で縁取り、ごわごわした布の説明的な表現となっています。また、脚絆についても、輪郭線を作り、脚の形が鮮明に分かるように描いています。これに対し、私は、半纏を曲線で柔らかく描き、袖・肩等のしわや紐の線は単純化した筆の白線で数も最小限にし、柔らかい布を黒い色面の量感で表現しています。また、脚絆についても、輪郭線を作って脚の形が鮮明に分かるようには描かず、前述の通り、すらりと簡潔に描いています。

 その他にも、本件原画では、顔について、顔の輪郭線だけで、顔の印象が弱いのに対し、私は、眉を点じ、顔の印象を強めました。また、本件原画では、髪の毛について、髪の毛すじを白線で描き、髪の質感を表現しているのに対し、私は、髪の毛すじを省略し、黒い色面の美しさと髪の毛の量感を出そうとしました。

 以上のようにして、私の「煮豆売り」は、写実的な見方を簡潔な描き方により、人物の存在感を出し、形や動きの安定感を得ることにより、ゆっくりと歩きながら商いをする「物売り」のリズム感とのんびりした「売り声」が聞こえて来る絵になるように工夫したつもりです。

4、被告図柄を発見した経緯と被告との交渉の経緯
 平成8年2月6日、朝日新聞(夕刊)一面題字下に玉木屋の広告図柄を偶然目にしました。見た瞬間直ちに自分の制作した「座ぜん豆売り」の複製である事に気付きました。

 これまでに自分の絵が本や雑誌の挿し絵、テレビの図版に使われることは良くありましたが、通常は使用時以前に電話や文書で連絡が入っていました。

 しかし、玉木屋からは自分にも家族にも連絡が入ったことはなく、まして宣伝広告に使われたことに、びっくりすると同時に無断使用されていることに憤りました。

 画家として自分の作品が勝手に、それも一部修正が加えられていたのです。使用者に対しその真意を聞きたいと思い息子・靭彦に話したところ広告などについて事情に詳しくないので、その方面に明るい友人の宇田川東樹氏に相談することにしました。
 そこで、宇田川氏に翌2月7日に電話し、10日(土曜日)の夜に来て頂き相談し、玉木屋との交渉なども依頼しました。

 宇田川氏は、玉木屋に対し手紙で問い合わせたところ以前から所有していた絵を保管しているので、後日探し出し連絡するとの答えがあったとの報告を受けました。

 しかし、以後宇田川氏の度重なる催促にも関わらず、使用したという原画は示されぬまま時間が過ぎ、且つ無礼な言動があったので弁護士を代理人を立て、平成8年12月13日要求書を送付したが返事もなく、翌平成9年3月5日再び要求書を送付した。がこれにも返事がなく通告通り5月19日に東京簡易裁判所に複製図案の使用中止を求めて調停を申し立てました。

 その後1年に渡り調停が続けましたが、その間何ら誠意は認められませんでした。

 当方は「座ぜん豆売り」と「玉木屋図案」を同じサイズに拡大フィルムコピーした対比出来る状態ものを提出した所、酷似していることを認めましたが、肝心の私の作品の無断使用著作権侵害を一切認めようとせず、曖昧な解決に固守したため平成10年5月27日調停は不成立に終りました。
 
4、 本件の裁判に希望すること
 私としては、今回、200年以上も続く老舗として信用ある商人らしからぬ玉木屋の態度は不誠実きわまりなく、甚だ遺憾で大変憤っています。

 先の調停の曖昧さを廃し、誠意ある対応と納得行く判断の上厳正なる裁判を希望します。
 

               平成10年6月22日

三谷 一馬

弁護士 柳原敏夫 殿