「エージー出版」無断複製事件

----資料9:債権者準備書面(1)----

4.2/98


コメント
 
 これはイラストの無断出版事件という一見ありふれた著作権侵害事件のひとつにすぎないが、しかし、侵害の目的物がデジタル著作物という20世紀の最大の発明のひとつであったため、それを利用していかに悪辣なことができるか(といってもその全貌が明らかになった訳ではないが)を示した、その意味で、デジタル時代の先駈けを示すような象徴的な事件だった。

だから、この悪辣な事件の情報をできるだけ公開することは、すこぶる意味があると思い、ここに可能な限りの情報を公開する。
実際に、この資料の整理をしてくれたのは、被害者のイラストレーターのひとり塚崎健吾氏であり、この事件のビジュアルな紹介は、彼のホームページ《デジタル時代の著作権》を参照されたい。

このページは、エージー出版の答弁書に対する債権者らの反論を書いた債権者準備書面(1)。


事件番号 東京地裁民事第29部 平成10年(ヨ)第22009号 著作権仮処分事件
当事者   債権者 叶精作ほか20名  
       債務者 株式会社エージー出版
            代表取締役 和田光太郎
                    
仮処分の申立  本年2月 3日
仮処分の決定      5月28日



債権者準備書面(1)

1998.04.02

  第一、答弁書に対する債権者の反論
債権者の申立以来一ヵ月もの猶予があったにもかかわらず債務者の答弁書に見るべき主張は何もない。
ただ、裁判所より、
《予め本件書籍(申立書で示した通り、「マックでデザイン」という題名の書籍のことをいう。以下も同様)の出版についてまで債権者らの許諾があった》
かどうかについて、債権者の反論を求められたので、この点について債権者の見解を述べておきたい。

一、 債務者の主張の根拠
《予め本件書籍の出版についてまで債権者らの許諾があった》
という債務者の主張の根拠は必ずしも明快になっていないが、答弁書及び前回の審尋期日における弁明から推測するに、以下のようなものであろう。
1、 本件書籍は、本件出版物(申立書で示した通り、「MAC DE DESIGN Vol.2」という題名の書籍のことをいう。以下も同様)の増刷に該当する。
2、 疎乙第一号証の企画書の内容から明らかであること。

二、 債権者の反論
1、しかし、これらはいずれもまったく根拠になっていない。
なぜなら、そもそも、債権者自身が《予め本件書籍の出版について債権者らの許諾を取っていなかったこと》を、既に以下の通り、債権者への正式な回答書(疎甲第四号証)及び今回の答弁書中においてもきっぱりと自白しているからである。
《 株式会社エージー出版が、「マックでデザイン」という本に、貴殿らの事前のご了承をいただかずに、貴殿らの著作物を掲載した事については、軽率であったことを、ここに深くお詫び申し上げます。》(疎甲第四号証回答書一枚目七行目以下)
《債務者が本件グラフイックの提供者に、本件のいきさつを説明し、事後的にではあるが、「マックでデザイン」に掲載することの承諾を求めたことは認める。》(答弁書八頁一行目以下)
《 一方、債務者は、「マックでデザイン」の発行について、グラフィック提供者の事前の承諾を得る方が望ましかったと反省したため、各提供者に対し個別に事情を説明した。》(同九頁六行目以下)
 ということで、もう勝負はついたも同然であるが、参考までに、債権者の右主張の失当なることを以下に明らかにしておきたい。
2、「本件書籍は、本件出版物の増刷に該当する」について
実は厳密に議論しようとすると、本来ならば、債務者は、たとえ「本件書籍は、本件出版物の増刷に該当する」としても、さらに、本件の出版に関する合意として、債権者が本件出版物の増刷まで許諾していたかどうか、という契約の解釈の議論までやらなければ《予め本件書籍の出版についてまで債権者らの許諾があった》という債務者の結論を導くことはできない。
しかし、以下に理由を述べる通り、本件ではそもそも「本件書籍は、本件出版物の増刷に該当」しないから、これ以上議論するまでもなく、債務者の主張は成り立たない。
第一に、現在、印刷・発行される書籍には、他の書籍との識別のために、世界でただ一つの番号を割り当てられている。これがISBN(国際標準図書番号体系)番号といわれているもので、日本ではこれに分類コードや定価を加えて、「日本図書コード」と呼んでいる。たとえば、本件出版物であれば、その日本図書コードは裏表紙に記載されている通り、
 ISBN4-900781-13-4 C3070 P16000E
である(このうち、ISBN4-900781-13-4が本件出版物のISBN番号である)。
そして、ISBN番号のルールとして、ある書籍を増刷する時にはそのISBN番号を変更しないという約束がある(疎疎甲第七号証「日本図書コード 書籍JANコード実施の手引」九頁参照)。従って、もし本件出版物の増刷をするのであれば、その書籍には、同じ
ISBN4-900781-13-4
というISBN番号が充てられる。しかるに、本件書籍の日本図書コードは、裏表紙に記載されている通り、
 ISBN4-900781-18-5 C3070 \4700E
であり、そのISBN番号は
 ISBN4-900781-18-5
である。従って、両書籍のISBN番号は別々であり、よって、増刷ではあり得ないことはもはや疑う余地がない。
第二に、実質的に考えてみても、もともと本件出版物は、広告業界内におけるデジタルイラストの普及と啓蒙を目指したものであり、その高価な値段からしても明らかな通り、一般書店で一般公衆向けに出された書籍ではなく、主としてイラストレーターを使う立場にある広告代理店や大手デザイン会社、企業の企画室等に備えてもらうためのものであった。そのことは本件出版物の編集を担当した債務者会社の編集者が、出版許諾を依頼をした当時、債権者らに言明していた。ところが、これに対し、今回、出版された本件書籍なるものは、その値段からして一目瞭然、本件出版物とは全く異なり、あくまでも一般書店でイラストレータの卵なりアマチュアといった一般公衆向けに出された書籍にほかならない(現に、債権者の塚崎健吾は、昨日も、高田馬場の書店芳林堂で本件書籍が売られているのを確認している)。その意味で、両者は出版されるその目的においても、その購買者の対象においても全く異なる。従って、あくまでも、広告業界内部の広告代理店等向けにデジタルイラストの普及と啓蒙を目指して(それがゆえに)無償で著作物を提供した債権者らが、そのとき同時に、これとは全く異質なレベルでの一般公衆向けの本件書籍についてまでも、そのまま無償で許諾をする意思があったなどということは凡そ考えられようがない。
3、 「疎乙第一号証の企画書の内容から明らかであること」について
前回の審尋期日において、債務者は、
《予め本件書籍の出版についてまで債権者らの許諾があった》ことは「疎乙第一号証の企画書の内容から明らかである」
旨主張したが、しかし、肝心の「疎乙第一号証の企画書」なるものを眺めてみても、どこにもこのような許諾は読み取れない。むしろ、二枚目の中ほどに記載された
〈体裁〉A4変形、ハードカバー上製本、220頁、オールカラー
〈定価〉16,000円(税込みの予価)
という説明からして、このときの掲載許諾の対象となっている出版物が、ハードカバー上製本の体裁で、16,000円の本件出版物を指し、それ以外の、たとえば、ソフトカバー並製本の体裁で、4700円の本件書籍まで及ばないことは明らかである。
また、実際に、債務者から債権者にFAX送信された企画書(疎甲第八号証)を検討しても、以上の点は全く同様である。
4、 結論
以上から、本件において、予め本件書籍の出版について債権者らの許諾を取っていなかったことが明らかであり、本件書籍に関する債務者の無断出版行為は疑う余地がない。
ところで、驚くべきことに、この間の債権者の調査により、債務者は、本件書籍に関する無断出版行為を行なっていたばかりではなく、それ以外にも、たとえば、本件書籍と同種の豪華本「MAC DE DESIGN」(一九九五年三月三一日発行、定価一六〇〇〇円)(疎甲第九号証)についても、その後、著作権者の許諾を得ずに廉価本「MAC DE DESIGN」(一九九六年四月一〇日発行、定価四三〇〇円)(疎甲第一〇号証)を無断出版している事実が判明した(もちろん両書籍のISBN番号は別々であり、それゆえここでも増刷という抗弁は成り立たない)。いわば債権者の著作権侵害の常習的体質が一層明らかになったというべきであり、その悪質さは既に刑事責任の域に達していると思わざるを得ない。

第二、答弁書のその他の主張について
債務者の主張として第一に述べた以外、本件出版差止の判断にとって必要な主張はない。しかし、このなかには、事実として或いはまた評価として聞き捨てならない内容が含まれているので、その点についてだけ、簡潔に反論しておきたい。

一、「二権利の目的たる著作物および著作権者」の1 法人著作について
債務者は、
《本件の場合、法人著作の主張があるが、‥‥》(三頁九行目)
と主張するが、これは債務者の早とちりである。債権者は、法人著作の主張なぞいっぺんもしたことがない。債権者はここで主張していることは、本件書籍に掲載した美術著作物の著作権者として六名の法人がいるということにすぎない。

二、 同 2 債権者らの製作部分について
債務者は、
《債権者らは、本件グラフィックを製作し提供したのであって、提供を受けたものを収録し、グラフ
ィックの大きさなどを調整して配列を考え、見開きぺ−ジに掲載したり、解説文の長短や語調を整え、本件書籍全体を通して統一性のあるものとしたり、解説文に英文の翻訳文を付したりして、編集し、本件書籍としたのは債務者である。この編集には明らかに債務者の創作性が認められる。
 したがって、債権者らが主張する各担当ぺ−ジには、債務者の著作権も重畳的に発生している。
 よって、債権者らの四一パーセントという主張には理由がない。》(三頁九行目)
と主張するが、これもまた債務者の思い込みとしか思えない。
確かに、創作性を何よりも重んじる債権者から見て、債権者が本件出版物を出版するにあたって、何がしかの編集行為をおこなったことを否定する積りはない。
しかし、そもそもDTP (ディスクトップパブリッシング)ソフトというものがあれば、画像とキャプション(画像の解説文)のレイアウトさえ決めてしまえば、あとは画像とキャプションというデータを指示するだけで、書籍が自動的に出来上がってしまう仕組みになっており、本件の債務者の編集行為も、疎甲第九号証の企画書三枚目以下からも明らかなように、基本的にはこれと同じである。言ってみれば、パターンに債権者らが提供した画像とキャプションのデータをはめ込むだけの作業でしかない。
これに対し、本件出版物のセールスポイントは何といってもコンピュータで作成したグラフィック作品であり、その完成までのプロセスを描いた作品である。そして、これらの作品の製作は全て債権者らが行なったものであり、債務者は関与していない。もっとも、この点について、債務者は、
《本件のグラフィックは、コンビユーター画面に作出されたものをΜΟ等に固定して提供されており、本件書籍はその複製物である。》(四頁四行目以下)
などと主張し、一見すると、債権者の行なった作業というのは単に本件書籍に掲載した画像と等身大の画像をモニター上で作成することであるかのように言っている。しかし、もしそうだとすると、それは断じて聞き捨てならない主張であり、全くの間違いである。なぜなら、債権者が行なった作業というのは、決して本件出版物に掲載した画像と等身大の画像をモニター上で作成することではなく、縦、横とも四倍以上、面積にして十六倍以上もの巨大な画像を実際にモニター上で作成する大変な作業であるからである。例えば、債権者塚崎健吾の作品(本件出版物二〇二頁)について、本件出版物に掲載した画像の大きさは別紙1の通りであるが、これをコンピュータを使って作成した時、債権者塚崎健吾は、実際には面積比にして右画像の二〇倍以上の大きさの画像を作成している。つまり、別紙2の通り、一七インチのモニター上では、わずかキリンの頭部しか写らない巨大なのものを作成しているのであった(なぜそんなことをするかというと、モニターの解像度は、通常72dpi[1インチに72ドットの点の集まり]であり、モニター上で本件出版物に掲載した画像と等身大の画像を作成してそのまま印刷したのでは、画像の密度が低くて、スカスカした粗い絵になってとても鑑賞に耐えないからである)。
その意味で、債務者のおこなった編集行為とは、本件出版物のセールスポイントであり、債権者らが創作性を発揮し、巨大な時間と労力をかけて描いた巨大な画像データ、この著作物を単に流し込むだけの作業にほかならず、通常の書籍において編集者が作家の作品を校正編集して一冊の本として出版するための作業などと殆ど変らない(この程度の機械的な編集だったからこそ、この種の刊行物を月一冊のスピードで出版することもまた可能だったのである[疎甲第五号証塚崎陳述書六頁一九〜二〇行目参照])。
従って、通常の書籍の出版差止において、いちいち編集者の校正編集行為の程度を考慮しないで、出版差止の是非を判断するように、本件においても、債務者の編集行為の程度は出版差止の判断にとって考慮される必要は全くない。

三、同 3 津熊清嗣の製作部分について
債務者の《津熊清嗣の製作部分は三六頁からではなく四○頁からであるので訂正を求める。》という主張は、債務者の勘違いであり、債権者こそ訂正を求める。

四、「三債務者の無断出版行為」の1 複製権について
  第一で主張済みである。

五、同 2 販売先等について
債務者は、
《「マックでデザイン」は海外で販売していない。》(七頁九行目)
と主張するが、既に、今回無断出版した本件書籍の元の出版物=本件出版物については、海外販売していることを認めておきながら、また、本件書籍も本件出版物と同様立派な英訳がついていて、いつでもそのまま海外で販売可能な体裁になっていながら、債務者の右のような言明だけでどうして海外販売はないとそのまま信用できるのだろうか。
六、「四債権者らと債務者との交渉」の2について
債務者は、債権者の申入れに対し、
《とても円満解決をめざしたとはいえないものであった》(八頁一〇行目)
と主張するが、これにはまず事実の歪曲がある。債権者がこの申入れに際して言ったのは、
《貴社が良識ある円満解決を望むのであれば、解決へ向けて、著作者の正当な権利として左記の条件を出させていただきます。》(疎甲第三号証一四行目)
とある通り、あくまでも「良識ある円満解決」である。
 その上、このとき「良識ある円満解決」と言ったのは、このときでさえ刑事責任の追求まで可能であった本件において、債権者は、そういった道を選ばず、債務者が自身のおかした過ちに対して、クリエーターたる債権者との信頼関係を回復するに相応しいきっぱりとした是正措置を取ってもらうことが、両者にとって真の意味での「良識ある円満解決」と思えたからである。
しかるに、債務者は、債権者がちゃんと
《 五、ペナルティとして、》(疎甲第三号証一四行目)
とその趣旨を明らかにしたのに、これを
《すでに無料で提供することを約束済みの「ΜΑС DΕ DΕSΙGΝ」についての金銭支払いまで求め》(八頁七行目以下)
などと開き直り、違法行為を行なった者がその責任を果たす一環として通常考えられている「ペナルティ」の何たるかをまるっきり分かっていない。 
 その意味で、債権者としては、債務者が考える「良識ある円満解決」とは一体何なのか聞きたいくらいである。

六、同4について
 本件出版差止とは直接関係ないが、しかし、債務者は、ここで、債権者が製作した著作物のデータが保存されているMO(光磁気ディスク)の扱いについて、次の通り、放置できない主張をしている。
《 もっとも、書籍の増刷のために、印刷会社に渡したΜΟや製版フィルムは印刷会社において保存しているし、また債務者もバックアップのために印刷会社に渡したΜΟのコビーを一部所持している。債務者が「ΜΑС DΕ DΕSΙGΝ」を出版する権利を有していることは争いのない事実であり、印刷会社へ渡したΜΟのコピーを所持することは、その書籍の増刷に不可欠なことであるので、このΜΟの所持は債務者の正当な権利行使である。》(一〇頁一一行目以下)
しかし、この債務者の主張は二重の意味で不当である。
第一に、もしこのような主張を堂々とするならば、債務者は、昨年の回答書(疎甲第四号証)の段階でそのことを正直に表明すべきであった。しかるに、債務者はこのとき、
《 株式会社エージー出版の保存機器からのデータ削除も完了しておりますのでご心配にはおよびません。》(一枚目一三行目)
などと債権者を欺く嘘をついたのである。なぜなら、コンピュータにおけるデータの「保存機器」とは言うまでもなく、通常、記憶装置のうち補助記憶装置のこと、つまり、
《主記憶装置の容量の不足を補うもので、大量のデータを低いコストで記憶するのに用いるため、大容量記憶装置ともいう。‥‥例として、ハード・ディスク、MO、フロッピー・ディスクなどがある》(技術評論社刊「97-98年度最新パソコン用語事典」五九〇頁の「補助記憶装置」の解説より)
のことをいい、ハード・ディスクやフロッピー・ディスクはむろんのことMOも当然そこに含まれるからである。
第二に、デジタル著作物の正当な保護という観点から考えた場合でも、債務者の右主張は不当である。
なぜなら、そもそも出版社は著作権者の著作物に対して単なる出版する権利しか有しておらず、その権利の行使に必要な限度で著作権者の著作物を扱うことができるものである。その意味で、出版行為が終了した段階で、著作権者の著作物のデータが収められたMOが著作権者に返還されるのは当然のことである。それはちょうど、アナログ著作物において作家の自筆原稿や画家の原画が返還されるのと一緒である。また、(実はこれが果して慣行として成立しているのかどうか、各業界ごとに厳密に吟味する必要があるのであるが)印刷のための製版フィルムの保存さえ印刷所に認めておけば、出版社の出版行為にとって支障なかったので、通常、印刷所における製版フィルムの保存までは認められてきたのである。
しかし、今回のようなデジタル著作物の場合には、これまでのアナログ著作物にはないデジタル著作物特有の問題がある。それは、デジタルがゆえに作家の著作物と全く同一の著作物がいとも簡単に作られてしまうということである。そのため、デジタル著作物の著作権者は、アナログ著作物の時代には考えられもしなかったような、無断複製の著しい危険にさらされる結果となった。そこで、デジタル著作物の著作権者は自らの権利を守るために、デジタル著作物の取り扱いについて、アナログ著作物とは比較にならないくらい神経を使わざるを得ないのである。その好例が本件で債務者が堂々と主張している
《出版社がバックアップのためにコピーを一部所持すること》
である。しかし、こんなことが著作権者に無断で自由にできると解する訳にはいかない。なぜなら、
そもそもデジタル著作物ではバックアップのためのコピーといえどもその中身は著作権者が製作した作品と全く同一であり、もしバックアップのためのコピーを自由に認めれば、あたかもアナログ著作物における作家の自筆原稿や画家の原画を出版社が引き続き所持できるのと同じことになり、デジタル著作物の著作権者の法的立場は著しく危ういものになってしまうからである。また、出版社にとっては、もともと出版にとって必要な限りで著作権者の著作物を取り扱うことができたのであり、事実、アナログ著作物の場合でも、印刷所における製版フィルムの保存までが認められてきたのであり、この点はデジタル著作物においても別個に解する必要はなく、従って、それ以上、バックアップのためのコピーまで認める理由はない。従って、
《債権者らの主張するデータを消却していないという非難が、もし、印刷会社へ渡したΜΟやその
コビーを意味するのであれば、債権者らの主張こそ、権利の濫用であり、失当である。》(一一頁八行目以下)
という債務者の主張に至っては、デジタル著作物の本質を全くわきまえない、ただの開き直りというほかない。

七、同 5について
債務者は、債権者の主張を《事実無根》と非難するが、しかし、いずれも明白な事実に立脚したものか、明白な事実から高い蓋然性をもって推認される事実を指摘したものにほかならない。
もし、債務者が本気で《事実無根》と反論する気なら、きっちりとその証拠を示して反論されたい。これでは、債務者の反論こそ《事実無根》と思われても仕方ない。
なお、ひょっとして債権者が使った《海賊版同然の行為》という指摘が債務者のプライドを傷つけたかもしれないので、無用な誤解を避けるため、ひとこと言及しておきたい。
もし、債権者が債務者の行為を《盗賊同然の行為》とか《山賊同然の行為》と評したなら、それは名誉毀損だといわれても仕方ないかもしれない。しかし、債権者は、あくまでも《海賊版同然の行為》と言ったのであり、「出版事典」によれば、「海賊版」とは、
《国際条約に保護されている著作物を著作権者には無断で他の国でリプリントとして複製したもの》(疎甲第一一号証の一。六〇頁)
のことをいい、従って、海外から見れば、本件書籍を海外で販売する行為はまさしくこの定義の通り、「海賊版」に該当するのであり、債権者は単にこのことを指してストレートに言ったにすぎない。

               疎明方法

一、 疎甲第七号証  日本図書コード管理センター発行の「日本図書コード 書籍JANコード実施
 の一〜三     の手引」
二、疎甲第八号証  債務者より債権者にFAX送信された企画書
三、疎甲第九号証  債務者発行の豪華本「MAC DE DESIGN」(一九九五年三月三一日発行、定価一六
          〇〇〇円)の奥付け
四、 疎甲第一〇号証 債務者発行の廉価本「MAC DE DESIGN」(一九九六年四月一〇日発行、定価四三
          〇〇円)の奥付け
五、 疎甲第一一号証 出版ニュース社発行の書籍「出版事典」(一九七一年一二月一日初版発行)
 の一、二

以 上 

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