債権者準備書面 (5)
----タイガーマスク無断続編作成事件----
東京地裁平成5年(ヨ)第2538号著作権侵害差止仮処分申請事件
事件番号 | 東京地裁民事第29部 | 平成5年(ヨ)第2538号 著作権侵害差止仮処分事件 |
当事者 | 債権者 | 辻なおき |
債務者 | 真樹日佐夫ほか2名 | |
申立 | 93年 5月23日 | |
決定 | 94年 7月 1日 | 申立を認める。 |
債権者 辻なおき
こと
辻直樹
債務者 真樹日佐夫こと
高森真士
外2名
平成6年 5月 23日
右債権者訴訟代理人
弁護士
柳 原 敏 夫
東京地方裁判所
民事第29部 御中
準 備 書 面 (5)
第一、はじめに
本準備書面で債権者が主張しようとすることは、次の通りである。
一、 | 債権者が本件において主張していることは終始一貫して、本件続編が本件漫画の複製権ではなく、翻案権を侵害しているということ、つまり、本件続編が本件漫画の「内面形式としてのキャラクター」を無断で再現しているということである。 |
二、 | 確かに翻案権侵害における判断基準を一般的に定立することは、著作権保護と表現の自由との衝突をいかに調整するかというすこぶる困難な問題にほかならないが、しかし、そのことと本件事案が翻案権侵害になるかどうかという問題とは全く次元の異なる事柄である。すなわち、本件債務者の行為が漫画界の社会的良識に照らし、また著作権法の根本理念に照らし、法的に許されないことは全く異存のないところであり(疎甲第32号証の各アンケート参照)、翻案権侵害か否かという判断の見極めが困難なボーダーラインのケースとは全くちがう(疎甲第32号証の七、X氏のアンケート参照)。それゆえ、本件の判断そのものに迷いを起こすものは何もない。 |
第二、債権者の主張の再確認
一、はじめに――用語の確認――
一般に「キャラクター」といっても、それは人物像といったごく抽象的なレベルのものから、人物の絵そのものといった極めて具体的なレベルのものまで様々な意味で用いられている。しかし、本件で取りあげるのは、そのうちでも或る特定のレベルにおけるキャラクターのこと、つまり「内面形式としてのキャラクター」のことだけである。そこで、この「内面形式としてのキャラクター」の位置づけ、或いはそのイメージをより深く理解するために、これを図解した試みが別紙図面である。
つまり、著作権法の立場から言えば、「キャラクター」なる語は次の三つの場合に分類できる。
1、 | 表現形式としてのキャラクター(著作権の保護が及ぶもの) | |
(1). | 外面形式としてのキャラクター(複製権の保護) | |
(2). | 内面形式としてのキャラクター(翻案権の保護) | |
2、 | 表現内容としてのキャラクター(著作権の保護が及ばないもの) | |
(3). | アイデアや思想・感情としてのキャラクター |
そして、それぞれのキャラクターは次のような中身を持つものである。
(1). | 外面形式としてのキャラクター: | 人物の絵そのもの |
(2). | 内面形式としてのキャラクター: | 具体的な「容貌、姿態、性格、役割」 |
(3). | 表現内容としてのキャラクター: | 抽象的な人物像 |
参考までに、従来の裁判例において使われてきた「キャラクター」なる語の意味について検討してみる。例えば、
(@)、「ポパイ」事件一審判決が取りあげている「キャラクター」なる語は、次の判示から明らかなように、もっぱら「表現内容としてのキャラクター」、つまり、アイデアや思想・感情としてのキャラクターとして用いられている。
《ポパイのキャラクターというのは、…中略…本件漫画の表現自体ではなく、それから抽出された思想又は感情にとどまるものである》(東京地裁平成二年二月一九日判決。判例時報一三四三号一六頁四段目四行目以下)
その意味で、右「ポパイ」事件判決では、「キャラクター」なる語を著作権法上の保護を否定するネガティヴな意味でしか使っていない。本件の債権者が、このような意味において「キャラクター」を用いていないことはいまさら言うまでもない。
(A)、これに対し、「サザエさん」事件一審判決が取りあげている「キャラクター」なる語は必ずしも明快ではないが、次の判示から、「表現形式としてのキャラクター」しかもそのうち「内面形式としてのキャラクター」として用いられていることが分かる。まず、
《本件においては、被告の本件行為は、原告が著作権を有する漫画「サザエさん」が長年月にわたって新聞紙上に掲載されて構成された漫画サザエさんの前説明のキャラクターを利用するものであって、結局のところ原告の著作権を侵害するものというべきである。》(東京地裁昭和五一年五月二六日判決。判例時報八一五号三一頁一段目二二行目以下)
という判示から、ここでの「キャラクター」なる語が著作権法上保護に値するものであること、つまり、「表現形式としてのキャラクター」として用いられていることが明らかである。しかし、右判決はこれを決して外面形式としての意味で用いていない。何故ならば、右判決は次のように判示しているからである。
《漫画の登場人物自体の役割、容ぼう、姿態など恒久的なものとして与えられた表現は、言葉で表現された話題ないしは筋や、特定の齬における特定の登場人物の表情、頭部の向き、体の動きなどを越えたものであると解される。しかして、キャラクターという言葉は、右に述べたような連載漫画に例をとれば、そこに登場する人物の容ぼう、姿態、性格等を表現するものとしてとらえることができるものであるといえる。》(同三〇頁四段目終わりから一一行目以下。サイドラインは債権者によるもの)
《ところで、本件頭部画と同一又は類似のものを漫画「サザエさん」の特定の齬の中にあるいは見出し得るかも知れない。しかし、そのような対比をするまでもなく、本件においては、被告の本件行為は、…中略…漫画サザエさんの前説明のキャラクターを利用するもの》(同三一頁一段目一八行目以下。サイドラインは債権者によるもの)
つまり、ここでいう「キャラクター」なるものは、あくまでも「特定の齬における特定の登場人物の表情、頭部の向き、体の動きなどを越えたもの」であり、それゆえ、「特定の齬」の絵といちいち具体的な「対比をするまでもなく」、キャラクターの利用があったかどうかを判断できるものである。従って、それは、サザエさんという「人物の絵そのもの」を問題としているのではない。だから、これは「外面形式としてのキャラクター」のことではない。そこで、ここで取りあげているのが(前述の三つの場合のうち残った一つという意味で、やや消去法的ではあるが)、ほかでもない「内面形式としてのキャラクター」なのである。
二、債権者の主張の再確認
以上の通り用語を確認した上で、債権者の主張を再確認すると、債権者が本件において主張していることは終始一貫して、本件続編が本件漫画の複製権ではなく、翻案権を侵害しているということ、つまり、本件続編が本件漫画の「内面形式としてのキャラクター」を無断で再現しているということである。それは反面、「キャラクター」なる語を、
(1)、漫画とは別個の独立した著作物として用いていないことはむろんのこと、さらに漫画著作物の一構成要素として用いたとしても、それを、
(2)、右「ポパイ」事件判決のように、「表現内容としてのキャラクター」、つまり、アイデアや思想・感情としてのキャラクターとしては用いていないし、なおかつ、
(3)、あくまでも「特定の登場人物の表情、頭部の向き、体の動きなどを」問題とする「外面形式としてのキャラクター」としても用いていないことを意味する。
言い換えれば、債権者が漫画著作物の一構成要素として問題にしている「内面形式としてのキャラクタ−」とは、一方で、アイデアや思想・感情のレベルとしての抽象的な人物像でもなく、また他方で、具象的な表現のレベルとしての人物の絵そのものでもないような、いわばそれらの中間のレベルとしての具体的な「容貌、姿態、性格、役割」というものを意味する。それは、ちょうど、小説・映画・ドラマにおける筋・ストーリー(これらが小説等における内面形式であることは言うまでもない)のレベルと同次元のことである(別紙図面でいえば、青色の部分に該当する)。
第三、本件における翻案権侵害の成否について
では、本件続編の作成、連載、出版行為は本件漫画の翻案権侵害となるであろうか。むろん、翻案権侵害が成立する。それは、本件漫画と本件続編とを見比べて回答してもらった第一線で活躍中の漫画家の各アンケート(疎甲第32号証の1〜23)、そこで明確に表明された漫画界の常識・見識に照らしてみても、明々白々である。
一、作品の同一性について
1、本件漫画の主人公「タイガーマスク」のキャラクターの画期性
(1)、いまさら言うまでもなく、本件漫画の主人公「タイガーマスク」のキャラクターは画期的なものであり、主人公が本物の迫力あるトラの頭をマスクとしてかぶり、黒タイツに黒パンツをはき、リングに登場する時にマントを着用するなどという画期的なキャラクターによって、当時のプロレス漫画に一世を風靡したのである。そのキャラクターの画期的な創作性は、漫画界で今なお、次の通り評価されている(むろん編集者の評価も同様であることは、改めて疎甲第二七号証、同第二八号証を持ち出すまでもない)。
《タイガーマスクの場合、ストーリー、絵柄云々より、虎のマスクをしたプロレスラーと言うキャラクターの設定自体が特異であり、》(A氏。疎甲第三二号証の七)
《「タイガーマスク」というキャラクターの、そのデザイン及びネーミングは、著作者の独創的な創造力が生みだしたものである。》(B氏。疎甲第三二号証の一一)
《「タイガーマスク」は……「あしたのジョー」や「巨人の星」とともに、一世を風靡した傑作で、》(C氏。疎甲第三二号証の一六)
《「タイガーマスク」といえばすでにその名前がひとり立ちしているキャラクターであり、》(D氏。疎甲第三二号証の一八)
(2)、「タイガーマスク」というキャラクターの著作権法上の位置づけでは、本件の「主人公が本物の迫力あるトラの頭をマスクとしてかぶり、黒タイツに黒パンツをはき、リングに登場する時にマントを着用する」という画期的なキャラクターは著作権法上どのように位置づけられるものだろうか。それは、二つの面から、つまり(a).創作的な(b).内面形式としてのキャラクターとして位置づけられる。何故ならば、
(a)、創作的なキャラクター
そもそも「創作性」の本質とは、素材も含めて無から新たに創造することにあるのではなく(それは神話にすぎない)、あくまでも既にある素材の新たな「選択」と新たな「組み合わせ」という点にある(浅田彰・後藤明生)。
そしてこの観点から、「タイガーマスク」の主人公のキャラクターには、少なくとも、
(@).「プロレスラーのマスクと本物の虎」という画期的な組み合わせ
(A).「プロレスラーとマント」というユニークな組み合わせ
という余人の追随を許さぬ際立った「創作性」が認められるのである(疎甲第二九号証債権者陳述書
一頁以下・同七頁終わりから四行目以下)。すなわち、
(@)は「迫力と凄味のあるプロレスラー」という抽象的な人物像(アイデア)を、当時誰一人として思い至らなかった「プロレスラーのマスクと本物の虎」という組み合わせによって具体化したものであり、
(A)は「より颯爽感を出す」という抽象的なアイデアを、やはり当時誰一人として思い至らなかった「プロレスラーとマント」というユニークな組み合わせによって具体化したものであるからである。
(b)、内面形式としてのキャラクター
従って、ここでいうキャラクターとは、決してアイデアないしは着想そのものではなく、あくまでも抽象的なアイデア・着想を具体化したもののことである。その意味で、これはアイデア・着想といった表現内容のレベルのことではない。
また他方、これらはむろん本物の虎の具体的な絵柄やマントの具体的な模様といった外面的な表現までをも問題にするものではない。あくまでも、そういった特定の具体的な表現を越えたところではじめて見い出せる「容貌、姿態、性格、役割」として、「本物の迫力あるトラの頭からなるマスク」や「黒タイツに黒パンツ」や「リングに登場する時のマント」というものが考えられているのである(疎甲第二九号証債権者陳述書
七頁終わりから四行目以下参照)。
それゆえ、これらはまさしく漫画著作物の内面的表現形式に属するものにほかならない(詳細は、準備書面(4)七頁以下参照)。
2、債務者の本件続編作成行為について
(1)、本件漫画と本件続編との類似性について
本件続編が、右に示した本件漫画の主人公「タイガーマスク」のキャラクターの創作的な表現部分、つまり、主人公が本物の迫力あるトラの頭をマスクとしてかぶり、黒タイツに黒パンツをはき、リングに登場する時にマントを着用するといった表現形式を再現したものであることは明らかである。この点における類似性は、第一線で活躍中の漫画家たちの揺るぎない確信として、以下のごとく証言されている。
《プロレスの世界、タイガーマスクという名前、この二つだけで充分「前作のつづき」と認識できるので、前作ぬきに考えられない。》(E氏。疎甲第三二号証の八)
《「タイガーマスク」の設定の重要なポイントを全て引きついで、「タイガーマスクTHE STAR」はつくられているように思う。》(F氏。疎甲第三二号証の九)
《虎のマスクとブラックタイツ。それだけで絵の上での重要なポイントを盗作していると言えると思う。》(同右。疎甲第三二号証の九)
《旧タイガーマスクのキャラクターを土台として作られていると思います。》(G氏。疎甲第三二号証の一〇)
《「タイガーマスクTHE STAR」は、そのデザインもネーミングも、「タイガーマスク」の類似作品であり、原著作者の創作的著作権にふれている。》(H氏。疎甲第三二号証の一一)
《原著作者の創作的キャラクターに、ほしいままに改変を加えただけのものであるから、原著作者の権利を侵害している。》(同右。疎甲第三二号証の一一)
《「タイガーマスク」といえばすでにその名前がひとり立ちしているキャラクターであり、今回の新作はそのキャラクターなくしては成り立たないものであると判断する。》(I氏。疎甲第三二号証の一八)
《絵が似ているか否かは別にして、虎の仮面をつけたプロレスラーという設定だけでも、キャラクターの偽作であり盗作と判断できる。》(J氏。疎甲第三二号証の一九)
そして、ここで取りあげた「主人公が本物の迫力あるトラの頭をマスクとしてかぶり、黒タイツに黒パンツをはき、リングに登場する時にマントを着用する」といった表現形式とは、けっして特定の絵における主人公の特定の表情、特定の体の動きなど(すなわち、外面形式のこと)を問題としている訳ではなく、それらを越えたものとしての、一段階抽象的な表現形式のことを問題としているのだから、それは取りも直さず「内面形式としてのキャラクタ−」のことである。従って、本件続編が、本件漫画の創作的な「内面形式としてのキャラクタ−」と類似しているということは、著作権法上、複製権侵害ではなく、翻案権侵害を意味する。そして、この法的な見解について明快に論じたのが、手塚プロダクションのディレクターX氏の次の証言である。
《「タイガーマスクTHE STAR」はマンガタイトル以外にも、背景としてプロレスをテーマに、「虎の穴」という特殊な主人公をとり囲む設定をも含め、私の知っている「タイガーマスク」と同じであり、その意味で「タイガーマスクTHE STAR」は「タイガーマスク」の翻案と言える。》(疎甲第三二号証の四)
(2)、本件漫画とは異なる本件続編の独自性について
確かに、本件続編は本件漫画のデッドコピーではなく、絵柄といい、ストーリーといい、マスクの弾痕といい、本件続編に固有の表現がないわけではない。しかし、本件続編はあくまでも「主人公が本物の迫力あるトラの頭をマスクとしてかぶり、黒タイツに黒パンツをはき、リングに登場する時にマントを着用する」といった本件漫画の創作的な「内面形式としてのキャラクタ−」にそのまま乗っかってこれを利用し、その上で、絵柄、ストーリー、マスクの弾痕といった修正を施しているものにすぎない。従って、これぞまさしく翻案行為の典型にほかならない。すなわち絵柄、ストーリー、マスクの弾痕といった差異が債務者の本件違法行為の正当化にならないことは、次の漫画家たちの証言の通りである。
《「タイガーマスクTHE STAR」のキャラクタ−に「タイガーマスク」キャラクタ−の絵柄がちがうというほどの創作性を見い出せない。ストーリー展開に「THE STAR」に「タイガーマスク」を越える創作性を見い出せない。よって絵柄のちがいやストーリーの展開のみで「THE STAR」は「タイガーマスク」とまったく関係をもたない著作物と主張できないと思う。》(K氏。疎甲第三二号証の四)
《私も「魔法使いサリー」や「鉄人28号」「仮面の忍者赤影」など何度もテレビ化されていますが、話もスタイルも変えて作るのに著作者として許可しています。それは年月がたつと生活環境が変わっていくので、その時代に合わせて現代風に作るからです。》(L氏。疎甲第三二号証の一〇)
《絵柄の差よりは類似の方が大きい》(M氏。疎甲第三二号証の一一)
《絵柄もストーリー展開もちがうのは画をかく人も原作者(ストーリー)もちがうのだからちがって当たり前であるが、どう見ても原著作者のかいたものを踏襲しているわけだから(あるいはマネているわけだから)、明らかに著作権の侵害である。》(N氏。疎甲第三二号証の一二)
《ストーリーが異なっても前作のイメージは払拭しがたいと思います。》(O氏。疎甲第三二号証の一七)
(3)、その他、債務者の行為として非難されるべき点について
債務者が、本件漫画の主人公「タイガーマスク」のキャラクターの創作的な表現部分を盗用したという点以外にも、債務者には非難されるべき次のような重大な事情がある。それは、
(@)、「タイガーマスクTHE STAR」という題名は、プロレス漫画として抜群の知名度を持つ「タイガーマスク」という題名を明らかに利用していること。
(A)、「タイガーマスクTHE STAR」の予告において、名作「タイガーマスク」の続編であることを読者にアピールする宣伝をやったこと。
すなわち、これらはプロレス漫画として以前根強い人気を持つ「タイガーマスク」の人気にあやかりこれにただ乗りして、不正な利益を得ようとするものであり、債務者の本件続編作成行為等の「違法性」を一層強めるものである。
現に、これらの点について、現場の漫画家たちは次のように証言している。
(a).名前の使用について
《「タイガーマスク」といふキャラクター名を使用する事そのことが著作権侵害である。》(P氏。疎甲第三二号証の五)
《プロレスの世界、タイガーマスクという名前、この二つだけで充分「前作のつづき」と認識できるので、前作ぬきに考えられない。よって前作の作者の意志を無視できない》(Q氏。疎甲第三二号証の八)
(b).宣伝の仕方について
《梶原氏のタイガーマスクが東スポでよみがえると云っているのであるから(債権者注:疎甲第三号証の予告の宣伝文句)、同一線上の作品と思う。》(R氏。疎甲第三二号証の一三)
《無断で「続編」などとうたうのは(債権者注:疎甲第三号証の予告にある「あの伝説の虎が復活」とか「名作プロレス劇画タイガー・マスクがプロレスの東スポによみがえります」とかいう宣伝文句のこと)以てのほか。》(S氏。疎甲第三二号証の一九)
なお、著作権侵害の判断にあたって、右の「名前の使用」とか「宣伝の仕方」などといった債務者の行為態様をも加味したことは、もしかしたらこれをいぶかる向きがあるかもしれない。しかし、それは何ら怪しむに足りない。
何故なら、もともと著作権侵害に基づく差止請求権の判断においては、単に「作品の同一性」という「被侵害利益の性質」のみならず、「侵害行為の態様」をも加味して、両者の相関関係において総合的に「違法性」が判断されるものであるからである(疎甲第三四号証参照)。現に、米国のチャップリン対アマダー事件のカルフォルニア地裁一九二八年判決でも、裁判所がアマダーにチャップリンと類似するキャラクターの使用を禁じた背景の一つとして、
(1)、アマダーが「チャーリー・アップリン」という芸名を使ったこと、
(2)、広告宣伝に際し、「世界的に有名なキャラクター"チャーリー・アップリン"を主人公とした記録破りの喜劇」といった文句を記したこと
を挙げている(疎甲第二二号証、同第二三号証参照)。
つまり、これらの行為態様が被告の不正な競業行為を基礎づける重要な要素として評価されているのである。そして、問題の本質
は本件の場合でも全く同じである。それゆえ、本件でもこれらの行為態様は債務者の行為の「違法性」を基礎づける重要なものとして評価されてしかるべきものである。
3、本件事案に対する社会的評価について
これまで、債権者は、債務者の本件続編作成行為を評して、
《わが国の漫画史上例を見ない、異例中の異例の出来事にほかならない。……いわばわが国の漫画界におけるクーデターともいうべき暴挙にほかならない。》(準備書面(2)三頁以下)
と主張してきた。しかし、この評価が誇張でもハッタリでもなく、ただ単に漫画界の見解・感想を率直にズバリ表明したものにすぎないことは、漫画家たちの以下の証言からして明らかである。
(1)、債務者の本件続編作成行為に対する感想について
今回、いやしくも創作活動に携わる者が、このような他人の才能と努力の結晶である「オリジナルな表現」を利用しておきながら、『「タイガーマスク」とは全く違うキャラクターであり』、単に『道義的立場から報告』すれば足りると言明して憚らない(疎乙第一号証の債務者真樹陳述書三丁裏)、債務者のそのような態度の根底には一体何があるのだろうか。それは、ほかでもない著作者の創作性に対する尊重の念が決定的に欠落しているということである。これはもう著作権法以前の、常識、良識ともいうべき社会認識の根本的欠如というほかない。従って、債務者の本件続編作成行為に対する漫画家たちの感想は、次の通り、殆ど憤りとして表明されている。
《創作の創造性に対する認識が欠落している。》(T氏。疎甲第三二号証の一一)
《今回のように過去の名作を利用して、利益をむさぼろうという姿勢に対し、法律上の厳しい処置を望むものであります》(U氏。疎甲第三二号証の一八)
《絵柄とストーリー展開が違えばOKなら、全てこれからヒット作を作りたい人は以前ヒットした作品の設定をつかえることになる。そんな見解は著作権をないも同然のように扱うものである。これからの日本出版界を著作権後進国にしないで欲しい。》(V氏。疎甲第三二号証の九)
《「あしたのジョー」「愛と誠」と続編が続くとしたら、都合のいい商売の様に思う。》(W氏。疎甲第三二号証の一三)
《不愉快なのは、無から形あるものを作り出す仕事にプライドを持っていない事です。》(X氏。疎甲第三二号証の二一)
《著作者の"著作権"とは"生きる権利"の様なものだ。著作権を自由に弄あそばれるのは生命を弄あそばれるのと同じ。許せません。》(Y氏。疎甲第三二号証の二二)
(2)、債務者の本件続編作成行為が裁判所により許容された場合に関する感想
債権者は、これまで、債務者の本件続編作成行為の異常性を訴えてきて、仮にもまかり間違えて、このような異例中の異例の出来事が、万が一裁判所により許容されるようなことがあった暁には、それはいわば「わが国の漫画界におけるクーデターともいうべき暴挙」に堂々とお墨付きを付与することであり、ひとりわが国の著作権法の歴史において途方もない深刻な混乱をもたらすのみならず、世界の著作権法の流れ(例えば、米国では、既に一九二〇年代に本件のごとき行為は裁判により禁じられており、その後現在に至るまで、この種の事案で判例が変更されたことはない)において世界中の物笑いの種となるような汚点を残すことになることを深く憂慮してきた(準備書面(2)二頁以下)。
しかし、この問題の重要性を最も切実に痛感しているのは、当の漫画家たち自身である。従って、やはりここでも、当人たちからこれについて語ってもらおうと思う。
《その場合、著作権侵害が堂々と行なわれる事になり、原作者の権利は全く守られなくなるだろう。由々しい事である。》(Z氏。疎甲第三二号証の一)
《量り知れぬ悪影響を及ぼし、漫画に生きる多くの人間の総反対を将来するでしょう。》(A氏。疎甲第三二号証の二)
《"明日は我が身"と思うと大変な憤りを覚えます。もたらされる影響は悪影響以外のなにものでもないでしょう。》(B氏。疎甲第三二号証の三)
《著作権法第二七条、第二八条の解釈が成り立たなくなると、業界としては大問題となる。》(C氏。疎甲第三二号証の四)
《大変恐ろしい事で著作権等ないに等しい。海賊版に近いものが氾濫する事になる。著作権者にとって大問題だ!》(D氏。疎甲第三二号証の五)
《オリジナルを創作する苦労と努力に対しての価値判断を疑う。他人のオリジナル発想、すでに価値が認められているものを安易に利用して生きようという、恥ずべき行為がまかりとおることは、社会全体の良識をゆがめるおそれがある。》(E氏。疎甲第三二号証の八)
《漫画界のみの問題ではありません。著作権のかかわる全ての業界が発展してきた三〇年間を否定されるのと同じです。……日本の漫画はこの先外国へ輸入する機会が多くなるのだから、過去へもどらず「世界における著作権の守られ方」を考慮して判断を下してほしい。》(F氏。疎甲第三二号証の九)
《そんなバカな判断が出るわけがないと信じている。》(G氏。疎甲第三二号証の一二)
《漫画界に混乱を起すと考えます。》(H氏。疎甲第三二号証の一四)
《そのような判断がなされた場合、著作権の意義は全く無意味なものとなり、今後類似した不正な作品の出現の恐れもあり、正義がくずれるものであると考えます。》(I氏。疎甲第三二号証の一五)
《無断自由制作が可能の判断はおかしいと思うし、前例となった場合、漫画界全体の大きな問題となると思います。》(J氏。疎甲第三二号証の一七)
《この件が許されるならば、日本の文化・芸術はすべて野放しの無法国家に等しいことになろう。厳罰を要望する。》(K氏。疎甲第三二号証の一九)
《このようなあい昧かつ無責任な判断を法的に下されると云うことは大変腹立たしく思います。それは原作者の独創性を傷つけプライドをまったく無視した見解であり、この結果は作家の著作権は素より、生活権の侵害にまで及ぶものであると考えます。》(L氏。疎甲第三二号証の二〇)
《恐しい事になる。それがまかり通れば、対出版社、対原作者との信頼関係は破壊され、制作活動など出来なくなる。とんでもないことだ!》(M氏。疎甲第三二号証の二二)
《いわゆる著作権というものが日本に存在しなくなることになります。》(N氏。疎甲第三二号証の二三)
《そのような著作権を否定する判断が出るとは考えられません。それならば、アメリカ漫画の人気キャラクター・ミッキーマウスやスーパーマン、バットマンなどが、役者が違うからとか、ストーリーが違うからといって勝手に使用できるということになります。そんなことをすれば、国際問題となるでしょう。》(O氏。疎甲第三二号証の一〇)
《過去の名作に改変を加えただけの類似品が多く出まわり、いづれ漫画界のみならず、映画、小説界にもそれは堂々とひろがり、「銭形平次THE STAR」が出てくるだろう。著作者の権利問題や創造性の独自性の価値観は何年も後退する。海外との認識の差が広まり、日本作品の類似品が勝手に外国に出まわる。正しい権利意識が育つまでに失われる時間と労力はばくだいなものになる。》(P氏。疎甲第三二号証の一一)
最後でO氏とP氏がいみじくも指摘した通り、本件判断が及ぼす影響はひとり日本の漫画界にとどまらず、アメリカをはじめとする世界中の、しかも漫画に限らずおよそキャラクターというものが登場する映画、小説といった分野にまで及ぶ。従って、本件債務者の行為が許容された暁には、日本の映画「男はつらいよTHE
STAR」とか小説「ノルウェーの森THE STAR」のみならず、世界の名画・名作を使った「ETTHE
STAR」から「ミッキーマウスTHE STAR」まで続々と無断で自由に製作できることになる。このようなことが日本のみならず世界の著作権ビジネスのルールに照らして、到底許されるべくもないことは言わずと知れたことであり、改めて疎甲第三三号証の新聞記事を見るまでもない。
第四、結語
言うまでもなく、本件において求められているものは、キャラクターに関する翻案権侵害一般に通用する判断基準などではなく、あくまでも本件という個別的、具体的な事案の適正な解決にほかならない。しかも、本件事案は、このような翻案権侵害一般に通用する判断基準なるものをわざわざ持ち出すまでもなく、適正に解決できる単純明快なケースなのである。
それゆえ、裁判所が、ここで明らかにされた漫画界の良識と著作権法の根本理念に立脚して一日も早く適正な解決を下すことを切に願うものである。