債権者準備書面 (1)

----タイガーマスク無断続編作成事件----
東京地裁平成5年(ヨ)第2538号著作権侵害差止仮処分申請事件

9.06/93

コメント

本著作権事件は、人気漫画「タイガーマスク」の無断続編を企てた相手の新聞掲載・出版の差止を求めて、仮処分事件を起こしたもの。
本書面は、そのクライマックスとも言うべき翻案権侵害を全面的に主張した書面。
エピソードとして印象的だったことは、この書面の提出の後、審理のために裁判所に行くと、打合の部屋にいた相手方代理人が私に向って、ニコニコ笑いながら、「先生、やりましたね」と声をかけたことです。なかなか太っ腹のイソ弁だった。
事件番号 東京地裁民事第29部 平成5年(ヨ)第2538号 著作権侵害差止仮処分事件 
当事者 債権者 辻なおき
債務者 真樹日佐夫ほか2名
申立 93年 5月23日
決定 94年 7月 1日 申立を認める。

平成五年(ヨ)第二五三八号著作権侵害差止仮処分申請事件

                債権者   辻なおき  こと
                       辻直樹
                債務者   真樹日佐夫こと
                       高森真士
                       外二名
平成五年 九月 三日
                    右債権者訴訟代理人
                           弁護士 柳 原 敏 夫

東京地方裁判所
民事第二九部 御中

準 備 書 面 (1)

  平成5年7月27日付債務者準備書面1に対する債権者の反論及び主張は、次のとおりである。

第一、翻案権概念の具体化・類型化の必要性について
一、近年、複製・翻案に関するテクノロジーやニューメディアの急速な発展に伴い、著作権法上大きくクローズ・アップされてきた問題の一つが、著作権がいかなる範囲まで保護されるのか、という「権利の幅」(疎甲第二三号証二四頁参照)の問題すなわち「著作権の保護範囲」の問題である。とりわけ、翻案行為的な利用が増大するにつれ、この翻案権をめぐるトラブルが多発し、かつ深刻な様相を帯びるに至っている(同第二三号証二四頁三段目松井発言参照)。

そして、この問題が社会的に重要な問題となった直接の引き金はコンピュータ・プログラムなどの現代的な著作物の分野であったが、しかし、事の本質は何も現代的な著作物に限らない。この翻案行為的な利用めぐるトラブルは、従来から絵や音楽や小説や映画などの古典的な著作物についてもあったのである(ただ、社会問題化しなかっただけのことである)。そして今や、コンピュータ・プログラムなどの現代的な著作物は勿論のこと、絵や音楽や小説や映画などの古典的な著作物をも含めて、この翻案行為的な利用をめぐるトラブルを合理的に解決する基準を真剣に模索すべき時期に来ている。

二、にもかかわらず、現行著作権法は、依然古典的な複製権中心の体系を採用しており、複製権については、有形的複製についての複製権(二一条)のみならず、無形的複製の形態である上演権・演奏権(二二条)、放送権・有線送信権(二三条)、口述権(二四条)、展示権(二五条)、上映権(二六条)などと詳細に規定しているのに対し、肝心の翻案権については二七条にたった一条だけ、しかも
総括的な規定しか置いていない。すなわち、現行著作権法は立法当時、翻案権を複製権の単なる一バリエーションとしてしか位置づけていなかったのである。

三、しかし、このように翻案権を消極的なものとして捉える考え方が、翻案な利用をめぐって現実に多発している深刻なトラブルを合理的に解決すべき著作権法の解釈として、もはや通用しないことは明らかである。そこで、今、この大転換期において、現行著作権法上の解釈として求められていることは、右の翻案行為的な利用をめぐる現実の事態を踏まえ、翻案権を複製権の単なる一バリエーションという消極的なものではなく、複製権と並ぶ著作権の二大支柱として捉え直し、かつ複製権を有形的複製と無形的複製とに分けてその権利の中身を具体化・類型化したように、翻案権もその具体的な権利の中身を具体化・類型化し、その類型ごとに「権利の幅」すなわち「翻案権の保護が及ぶ範囲」を個別的に画定していくことである。
何故なら、一口に翻案といっても、そこには凡そ「著作物を現状のまま利用するのではなく、著作物をもとにして新たな著作物を作る場合」全てを総称しているのであって、翻案権には小説の翻訳権から楽曲の編曲権、図画の変形権、小説の脚色権、映画化権などありとあらゆる形態が含まれているため、この翻案行為の多様性に応じてこれを具体化・類型化し、その類型ごとに「権利の幅」すなわち「翻案権の保護範囲」を個別的に画定していくことが、複雑多岐にわたる翻案行為的な利用をめぐるトラブルを合理的に解決するために是非とも必要だからである(疎甲第二三号証四〇頁二段目中山発言参照)。

四、その意味で、あらゆる著作物において様々な翻案行為的な利用というものが可能であり、これを「ストーリーないし筋」の利用というふうに限定して考える必要は全くない。従って、漫画著作物においても勿論キャラクターの翻案行為的な利用というものが可能なのである。本件において、債権者はまさにこの点のみを問題とし、キャラクターの翻案行為的な利用という本件の実態に則して、それに相応しい著作権法上の保護を求めているのである。


第二、キャラクターの翻案行為的な利用の意味
一、それでは、漫画著作物においてキャラクターの翻案行為的な利用が可能であるとすれば、それは一体いかなる内容のものであろうか。
その点を考察するにあたってはまず、次の二点を注意しなければならない。
1、漫画著作物の空間的把握の必要
我々が今、考察しようとするものは、翻案行為的な利用において中核となる表現形式すなわち内面形式のことであるが、ここで問題とする内面形式とは、漫画著作物を時間的に把握することではなく、あくまでも空間的に把握する中で見い出されるものである。もし、これを時間的に把握したときには、小説や映画と同じく「ストーリーないし筋」が内面形式と理解されてしまう。しかし、これを空間的に把握したときには、そこに描かれた主人公たちの絵のエッセンスとも言うべきものが見い出される。これが、まさしくキャラクターの翻案行為的な利用における内面形式というものにほかならない。

2、キャラクター概念の分類・整理の必要
さらに注意する必要があるのは、一口に「キャラクター」といっても、実際上、この言葉は、一方で、物像という極めて抽象的なレベルから、他方で、人物の絵そのものという具体的なレベルにまで幅広く使われている。従って、この多様性を含んだキャラクター概念はそのレベルに応じてこれを分類・整理し、その類型に応じて著作権法上の保護を考える必要があり、これを単に「キャラクター」と一口で括って著作権法上の保護を一律に考えるのは適切ではない。
そして、債権者が本件において著作権法上の保護を求めているのは、キャラクター一般の意味においてではなく、あくまでも或る特定のレベルにおけるキャラクターについてである。

二、では、漫画著作物を空間的に把握した場合に見い出される、キャラクターの翻案行為的な利用における内面形式とは何か。それは、一方で単なる人物像などという抽象的なレベルの意味ではなく、他方で人物の絵そのものという具体的なレベルの意味でもなく、いわば、その中間に位置するようなレベルにおいて見い出される具体的な「容貌、姿態、性格、役割」のことである。
ここで言わんとすることを、翻案行為的な利用の典型例である「ストーリーないし筋」との対比の中で今少し敷衍すると、次の通りである。
1、すなわち、小説・映画・ドラマなどにおいては、作品の三要素として

(a)、テーマ(主題)
(b)、ストーリー(筋)
(c)、題材(素材)

が挙げられ(疎甲第二四号証参照)、これらは或る抽象的なテーマがストーリーという形で作品の骨格・特徴を示すものとして(つまり、一段階具象化されて)描かれ、ストーリーはさらに題材を通じて作品のディテール・具体的内容を示すものとして(つまり、もう一段階具象化されて)描き込まれるという関係、つまり右から左へ向かって抽象から具象へと発展する関係にある。

2、そして、この三つの要素は著作権法上の観点から評価すると、次のように分類されている。

《著作権法上の評価》 《小説・映画・ドラマ》
アイデア(表現内容) → 、テーマ(主題)
内面形式(表現形式) → 、ストーリー(筋)
外面形式(表現形式) → 、題材(素材)


つまり、小説・映画・ドラマにおけるストーリー(筋)とは、アイデアという抽象的な領域におけるテーマ(主題)と、外面形式という具象的な領域における題材(素材)との中間に位置し、著作権法上、内面形式という評価を与えられているものである。このようなストーリー(筋)におけるデリケートな位置、このデリケートな位置こそキャラクター概念の分類・整理においても最も留意しなければならない点である。

3、すなわち、キャラクターという言葉は一般に、単なる人物像という抽象的なレベルで使うことも、また人物の絵そのものという具体的なレベルで使うこともある。と同様に、このキャラクターを、ストーリー(筋)のときと同じく、単なる人物像などという抽象的なレベルでもなく、かつまた人物の絵そのもの
という具体的なレベルでもなく、いわば、その中間において見るときに初めて見い出されるようなものとして使うこともある。これが、小説・映画・ドラマにおけるストーリー(筋)と対応する、具体的な「容貌、姿態、性格、役割」のことである。
つまり、小説・映画・ドラマにおける作品の三つの要素は、漫画著作物を空間的に把握した場合に見い出されるキャラクターの三つの用法と比較検討すると、次のような対応関係が認められるのである。

《小説・映画・ドラマ》 《漫画著作物》
(a)、テーマ(主題) 抽象的な人物像
(b)、ストーリー(筋) 具体的な「容貌、姿態、性格、役割」
(c)、題材(素材) 人物の絵そのもの


4、そうだとすると、漫画著作物を空間的に把握したとき得られるこの三つのキャラクターの用法は著作権法上、次のように評価が与えられることになる。

《著作権法上の評価》  《小説・映画・ドラマ》   《漫画著作物》
アイデア(表現内容) → (a)、テーマ(主題)   (1)、抽象的な人物像
内面形式(表現形式) →(b) 、ストーリー(筋)  (2)、具体的な「容貌、姿態、性格、役割」
外面形式(表現形式) →(c) 、題材(素材)   (3) 、人物の絵そのもの

すなわち、漫画著作物には、著作物の内面形式に該当するものとして、ストーリー(筋)と同次元のもの、つまり、抽象的な人物像でもなく、かつ人物の絵そのものでもないような中間のレベルとして具体的な「容貌、姿態、性格、役割」というものが認められるのである。
本件において問われているのは、まさしくこの具体的な「容貌、姿態、性格、役割」の利用のことであり、それ以上でもそれ以下でもない(従って、以下、これを「内面形式としてのキャラクター」という)。

5、その意味で、「ポパイ」事件の東京高裁平成四年五月一四日判決が「附帯控訴人主張に係るポパイのキャラクターなるものは、ポパイの個々具体的な漫画を超えたいわばポパイ像にすぎず、特定の観念(アイデア)それ自体である」
として著作権法上の保護を与えなかったのは、まさしく右 の「アイデアとしてのキャラクター」のレベルのことを言及したからにほかならず、従って、本件とは直接何の関係もない。

第三、本件における「内面形式としてのキャラクター」の利用について
一、以上の通り、債権者が本件において問題にしているキャラクターとは、あたかも小説等におけるストーリー(筋)に対応するような、「内面形式としてのキャラクター」のことにほかならない。従って、申請書において債権者が主張しているキャラクターとは全てこの意味で使用しており、とくに「キャラクターの特徴」(四頁一一行目等)と言うときは「内面形式としてのキャラクター」であることを強調して使っている。
そして、本件における「内面形式としてのキャラクター」の中身は申請書四頁一一行目以下で主張した通りであり、及びこの「内面形式としてのキャラクター」を債務者らが無断で利用したことは同申請書六頁一行目以下に主張した通りであり、さらにこの「内面形式としてのキャラクター」が債務者らの利用行為によってその品位を貶められ、著作物の本質に関わる改変がなされたことは同申請書一五頁七行目以下に主張した通りである。

二、もっとも、申請書では
「わが国では未だ本件と同種の事案に対する裁判例はない」(九頁一一行目)
と述べたが、その後、債権者の調査により、本件と同種の事案に対する裁判例が既に出されていたことが判明した。それが債務者風忍が所属する株式会社ダイナミックプロダクションが起こした「キューティーハニー」仮処分事件である。
これは、題名「キューティーハニー」という漫画著作物のキャラクターを著作権者に無断で利用し、題名「ビューティーハニー」というパソコン用のゲームソフトを作成・販売した相手方に対し、著作権に基づく販売禁止の仮処分を求めた事件であり、貴裁判所民事第二九部は、昭和六三年一二月二六日、これを認める決定を出した(疎甲第二五号証参照)。この事件は、「サザエさん」事件や「ポパイ」事件のように漫画著作物のキャラクターを単に複製的に利用したケースではなく、また、漫画著作物のストーリー(筋)を利用したケースでもなく、紙の上に表現された漫画のキャラクターをパソコンの画像上の人物として利用する点において、紛れもなく、漫画著作物のキャラクターを翻案的に利用したケースである。
この事件においては、著作権法上、理論的にどこまで翻案権における「内面形式としてのキャラクター」の問題が突き詰められたか不明であるが、また、「主人公が使うブーメランや剣などの武器、敵のキャラクターの名前や特徴が、ほぼ原作通りに用いられている」という類似性だけから「内面形式としてのキャラクター」の類似性を肯定することは必ずしも容易であったとは思えないが、しかし「無断ゲーム化を放置すれば、将来の影響が大きい」という客観的な状況をも十分に踏まえた画期的な判断であることは間違いない。
そしてまた、かつて漫画著作物のキャラクターを翻案的に利用したケースにおいて、著作権侵害を理由に販売差止の仮処分を堂々と申請した株式会社ダイナミックプロダクション側の者が、同種の本件において、手の平を返したように著作権侵害は成立しないなどと主張することは禁反言に照らし、許されない。

第四、平成五年七月二七日付債務者真樹日佐夫準備書面 に対する反論
一、製作過程における依拠性について
 この点、債務者真樹は右準備書面において、
「本件続編は本件漫画に依拠して製作されたものではなく、プロレス界で実際に活躍したマスクマンタイガーマスクに依拠して製作されたものである」
と反論する(一丁裏四行目以下)。
しかし、右反論には全く根拠がない。何故なら、
1..もし、真実、マスクマンタイガーマスクに依拠して本件続編を製作したのならば、その主人公の覆面レスラーのマスクも、マスクマンタイガーマスクのマスクと同様(つまり疎甲第一号証のカバー写真の通り)、単に普通のマスクにトラの模様の縞を入れたものである筈なのに、実際の絵は、むしろ、本件漫画のそれと同様、本物のトラの頭をそのまま使っているからである。
2..また、本件続編の予告として広告した宣伝記事(疎甲第三号証の一・二)に、
「名作プロレス劇画タイガーマスクがプロレスの東スポ紙上によみがえります。」
とうたい、本件続編が本件漫画の主人公のキャラクターをそっくり使うものであることを堂々と表明しているからである(この表明を「債務者東京スポーツ新聞社の勝手な宣伝文句であり、債務者真樹はあずかり知らない」などとしらを切る債務者真樹の強弁ほど責任逃れにも程があり、見苦しいとしか言いようがない)。
3..のみならず、当の債務者真樹自身のことばとして(疎甲第三号証の二)
「梶原原作『タイガーマスク』の連載開始時から四半世紀がたち、‥‥‥本作品を梶原にささげることにした次第である。」
とわざわざ本件漫画に言及したのは、さらに、本件続編の企画の中心となった株式会社ユニオンプレスが株式会社講談社に書面で(疎甲第六号証)
「梶原一騎七回忌記念事業として、「タイガーマスク」‥‥を新しいスタイルで復活させようと話し合い、第一弾として「タイガーマスク」を「タイガーマスク・ザ・スター」として、‥‥連載を始めることになりました。つきましては、辻直紀先生と御社にご報告させて頂き、権利関係をどのようにクリアしていくべきか、ご相談させて頂きたく存じます。」
と自ら申し入れたのは、まさしく本件漫画を念頭に置き、これに依拠してその続編を書くという、動かぬ証拠である。以上の通り、債務者真樹の右主張は、畢竟、苦し紛れの言い逃れにほかならない。

二、「内面形式としてのキャラクター」の類似性(同一性)について
1、この点、債務者真樹は右準備書面において、
「本件続編の内面形式は本件漫画のそれと全く別物であり、著作物としての類似性(同一性)はない。何故なら、
1..キャラクターは、ストーリー(筋)を意味する内面形式に当たらない。
2..仮に当たるとしても、両作品のキャラクターは全く別物である。つまり
 a..マスクを脱いだ主人公が全く別人格であること。
 b..ストーリー性・背景その他を全く異にしていること。
 c..容姿のマスクにも象徴的な弾痕があり、明確な違いがあること。
3..その外見から一見して両作品のキャラクターが別物であることが判 る。」(二丁裏四行目以下)
と反論する。
2、しかし、右反論こそ内面形式の何たるかを全くわきまえない暴論である。
 まず、著作物の内面形式がストーリーないし筋を意味するとは誰もどこにも言っていない。そもそも内面形式とは講学上「外面形式に対応して著作者の内心に一定の秩序をもって形成される思想の体系」(半田正夫著「著作権法概説〔第三版〕八二頁九行目以下参照)のことであり、いわゆる「著作物のエッセンス」加戸著「著作権法逐条講義」新版一三八頁下から二行目)のことにほかならない。従って、右「著作権法逐条講義」においても
「著作物の内面形式(‥‥たとえばストーリー性とか、基本的モチーフとか、構成とかいう著作物のエッセンスを指す内面的表現形式)」(一三八頁下から三行目以下)
「翻案権は、小説のドラマ化、シナリオの映画化といった代表的例示のように、基本となる原作の筋・仕組み・主たる構成などの内面形式を母体として派生的著作物を作成する行為を規制するものでして」(一六五頁一二行目以下)
の通り、あくまでも著作物の内面形式の代表的例示としてたまたまストーリー(筋)を挙げているにすぎず、著作物の内面形式をストーリー(筋)に限定することなど思いも寄らない。従って、著作物の内面形式の意味をストーリー(筋)に限定した債務者真樹の右1.の主張は失当であると言うほかない。
そして、キャラクターが著作物の内面形式に当たるか否か、という議論は、第二で詳述した通り、現実に抽象的な意味から具象的な意味まで様々な次元で使われているキャラクター一般について一律に論じてはならない。従って、キャラクターを、ストーリー(筋)と同次元のものとして、抽象的な人物像でもなく、かつ人物の絵そのものでもないような中間のレベルとして具体的な「容貌、姿態、性格、役割」というものに着目すれば、これを著作物の内面形式として考えることができるのである。

3、従って、本件において、両作品のキャラクターを対比するというのは、まさしく具体的な「容貌、姿態、性格、役割」という「内面形式としてのキャラクター」を対比することにほかならない。
すなわち、申請書四頁一一行目以下で主張した通り、
1..容姿
(1)、本件漫画は、主人公の覆面レスラーのマスクとして、トラを使い、しかも、そのトラの描き方も、単に普通のマスクにトラの縞を入れたものではなく、本物のトラの頭をそのまま使った(疎甲第一三号証の債権者陳述書六頁〜一〇頁参照)。
(2)、これに対し、本件続編も、主人公の覆面レスラーのマスクとして、トラしかも本物のトラの頭をそのまま使っている。
2..姿態
(1)、本件漫画は、主人公の下半身は黒タイツに黒パンツ(但し、途中からはトラの縞のパンツ)であり、リングに登場する時はマントを着用している(右債権者陳述書一〇頁〜一一頁参照)。
(2)、これに対し、本件続編も、主人公の下半身は黒タイツに黒パンツ、リングに登場する時はマントを着用している。
3..性格・役割
(1)、本件漫画は、主人公は秘密の悪役レスラー養成所「虎の穴」出身で、マスクをかぶったリングの上では反則技を平気で使う悪役レスラーだが、マスクを脱いだときは稼いだ賞金をひそかに孤児院に寄付する心優しい人物として登場する(なお、債務者真樹は「虎の穴」はプロレス業界の四〇年前からの慣用語であると反論するが、しかし、未だ一度も聞いたこともない反論であり、その証拠も一つもない)。
(2)、これに対し、本件続編も、主人公は同じく秘密の悪役レスラー養成所「虎の穴」出身で、マスクをかぶったリングの上では反則技を平気で使う悪役レスラーだが、マスクを脱いだときには女性探偵を助け、稼いだ賞金をりんどう学園にひそかに送金する(疎甲第四号証の三九参照)など心優しい人物として登場する。
以上の通り、両作品は具体的な「容貌、姿態、性格、役割」という「内面形式としてのキャラクター」において完璧に類似している。
4、ところが、債務者真樹は、債権者のこの本質的な主張に対して、正面からまともに何一つ反論しておらず、精々、前述の通り
「2..仮に当たるとしても、両作品のキャラクターは全く別物である。つまり
a..マスクを脱いだ主人公が全く別人格であること。
b..ストーリー性・背景その他を全く異にしていること。
c..容姿のマスクにも象徴的な弾痕があり、明確な違いがあること。
3..その外見から一見して両作品のキャラクターが別物であることが判
る。」(二丁表一〇行目以下)
と反論するにすぎない。しかし、
(1)、まず、債権者が本件で問うているのは専ら具体的な「容貌、姿態、性格、役割」という「内面形式としてのキャラクター」のことであり、ストーリー性・背景その他の利用を一切問題にしていないことは繰り返すまでもない。
従って、b.の反論はその点からして失当である。
(2)、次に、3.の反論は外面形式という「外見」を論じたものであり、専ら内面形式の類似性しか問題にしていない債権者の主張を完全に見誤った、これまた失当な反論にほかならない。
(3)、そして、本件続編の主人公は、マスクを脱いだときには女性探偵を助け、稼いだ賞金をりんどう学園にひそかに送金する(疎甲第四号証の三九参照)など心優しい人物として登場し、本件漫画の主人公と全く同様の性格・役割であり、従って、「マスクを脱いだ主人公が全く別人格である」というa.の
反論も成り立つ余地がない。
(4)、最後に、「象徴的な弾痕」なるものも、実は債務者に指摘されるまではトラの縞柄の絵に紛れてその存在に気が付かなかった程の代物であり、著作権侵害のクレームに対する姑息な言い逃れの手段としか言いようがない。
すなわち、これらはいずれも、「容貌、姿態、性格、役割」という「内面形式としてのキャラクター」が両作品において共通するという結論にかすりもしない非本質的な言い逃れの議論にすぎない。

三、以上の通り、債務者真樹の反論はいずれも債権者の主張を論破するには到底至っていないと言わざるを得ない。


以 上
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