大河ドラマ「春の波涛」事件(一審)

----脚本担当の中島丈博氏の陳述書----

1998.09.18



コメント
 昨日(9月17日)久々に、脚本家の中島丈博氏に電話する。
相変わらず、元気でつやのある声。
思わず、話し込んでしまう。彼の陳述書をホームページに掲載することの許可を求め、快諾を得る。

殆どの場合そうであるが、この種の陳述書の草案は、代理人のほうで用意する(だから、代理人の力量が陳述書の出来不出来を大きく左右する)。このときも私が担当して作成し、関係者に配って読んでもらったが、そしたらすこぶる評判が悪かった。余計なことをゴチャゴチャ書きすぎていて、分かりにくいということだった。
私は、それまで中島さんの脚本もドラマも全く知らなかった。そして、初めて見る本件のドラマは、正直言って、私の気に入らなかった。そのせいもあって、当初、私は、本件が著作権侵害になるのかどうか、正直言って、よく分からなかった。
しかし、その後、この中島さんの陳述書を作成するために、彼の経歴を調べ、彼のこれまでのドラマのことを知るに至って、この人は、シロであるという確信に到達した、要するに、訴えを起こしてきた原告のタイプと彼のそれと全く異質であり、資質的に盗用するようなことは到底不可能であることが分かったからである。それで、私は、いささか脱線してでも、彼の作家としての核になっている世界観・資質から説き起こして、著作権侵害があり得ないことを証明しようと思ったのだ。しかし、こうした試みは初めてのことであり(周りの人たちにとってもそうだった)、当初、なかなか思うようには歯切れよく明快に書けなかった。それで、周りの人たちからこうした不評を買うに至ったのである。

しかし、その中で、唯一例外がいた。それが、中島さん本人である。それまで打合せには殆ど顔を見せなかった彼が、私の草案を読んで我々の打合せの席にやって来たとき、「なかなかよく書けているんじゃない」と言った。私は、初めてそれまでの努力が報われる気がした。それで、この方向で、陳述書を練り上げることにし、同時に私と中島さんは親しくなった。

これもまた、ドラマの著作権侵害の問題について、一審判決(及びその後の上級審の判決)に確信を与えた重要な書面である。

*なお、ホームページ上で見やすいように、適宜、段落で区切ってある。
 また、別紙がまだ未掲載である。

事件番号 名古屋地裁民事第9部 平成6年(ワ)第4087号 著作権侵害損害請求事件 
当事者 原告(控訴人・上告人) 山口 玲子
被告(被控訴人・被上告人) NHKほか2名
一審訴提起  85年12月28日
一審判決 94年07月29日
控訴判決  97年05月15日 
最高裁判決 98年09月10日 



陳 述 書 

                                    中 島 丈 博 

                          目 次

第一、経歴
第二、大河ドラマ『春の波濤』の脚本執筆の経過について
 一、脚本執筆の依頼
 二、『マダム貞奴』の感想と私の新たな発想
 三、脚本執筆の受諾とその条件
 四、脚本執筆の準備に入るまで
 五、脚本執筆の準備
 六、脚本執筆のプロセス
第三、山口玲子作『女優貞奴』との係わりについて
第四、大河ドラマ『春の波濤』と山口玲子著『女優貞奴』について
 一、両作品を対比した結論について
 二、作風――私の作品の根底にある作家の精神世界――について
 三、ドラマ『春の波濤』のストーリー(=物語性)について
 四、私の作品世界に対する評論家の論評
第五、ガイドブック『ドラマストーリー』について
第六、ドラマにまつわる色々なことについて
 一、ドラマと原作の関係について
 二、原作者の許諾が必要が場合について
 三、ドラマにおける歴史的事実の位置付けについて

                                                 以上 

第一、経歴
私は、昭和二十九年に高知県立中村高校を卒業し、三年間、高知相互銀行に勤務
後、上京して、シナリオ研究所に入所しました。昭和三十四年より脚本家橋本忍氏
のもとに師事し、三十六年、東宝映画『南の風と波』の脚本を師橋本氏と共同で執
筆し、脚本家として初めて世に出ました。
その後、日活の専属ライターとなり、四十四年にフリーとなりました。
以後、今日まで多くの映画・テレビ・舞台の脚本を執筆し、並びに映画監督とし
ての仕事もしております。
別表1に私の主な執筆作品を掲げておきましたが、そのうちポイントとなる作品
及び代表的な作品は、次の通りです。
(一)、映画化作品
昭和三六年『南の風と波』(橋本忍共作。東宝映画。監督橋本忍)
四八年『津軽じょんがら節』(ATG映画。監督斎藤耕一)
キネマ旬報ベストテン第一位。
五〇年『祭りの準備』(ATG映画。監督黒木和雄)
キネマ旬報ベストテン第二位。キネマ旬報脚本賞。毎日映画コンク
ール脚本賞。
六三年『郷愁』(独立プロ製作。監督中島丈博)ATG脚本賞。
(二)、テレビドラマ作品
昭和五〇年『わが美わしの友』(NHK)芸術祭優秀賞。
五三年『おかしな夫婦』(HBC)民放祭優秀賞。
『極楽家族』(NHK)芸術祭優秀賞。モンテカルロ国際テレビ祭批
評家特別賞。
五四年『草燃える』(NHK大河ドラマ)
五八年『野のきよら山のきよらに光さす』(NHK)
モンテカルロ国際テレビ祭批評家特別賞。同脚本賞。
六二年『極楽への招待』(NHK)芸術選奨文部大臣賞。
『絆』(NHK)芸術選奨文部大臣賞。芸術作品賞。
平成 元年『幸福な市民』『海照らし』(NHK)第八回向田邦子賞。
二年『恋愛模様』(NHK)第八回向田邦子賞。
三年『夢と共に去りぬ』(東海テレビ)民放祭最優秀賞。

第二、大河ドラマ『春の波濤』の脚本執筆の経過について
一、脚本執筆の依頼
昭和五十八年八月、人間ドッグの検査のため私が渋谷のセントラル病院に入院し
ている時、NHKの松尾武チーフ・プロデューサー(以下松尾CPと略称)と清水
満チーフ・ディレクター(以下清水CDと略称)がやって来られ、大河ドラマ『春
の波濤』の脚本執筆について正式の依頼がありました。
当日、松尾CPより、杉本苑子作『マダム貞奴』を渡され、大河ドラマ『春の波
濤』の原作として、『マダム貞奴』のほかに同じく杉本さんの新作(後に『冥府回
廊』として発表)が用意されると聞かされました。この時聞かされた、杉本さんの
新作の内容は、おおむね次の通りでした。
「福沢房子の側から、貞奴・音二郎・桃介を捉えた作品で、スケールの大きな四人
の愛憎劇となる。『マダム貞奴』と表裏一体のものであり、六百枚くらいの枚数
になる」
そこで、私は「一考する」と返事をして別れました。

二、『マダム貞奴』の感想と私の新たな発想
1、私はさっそく『マダム貞奴』を読み、これは通俗的ではあるが、ドラマとして
面白くなる内容だと思いました。
何よりもまず、時代設定が気にいりました。音二郎を中心に、登場する人物た
ちが伊藤博文ら明治初期の政治家にまで及ぶので、幅広く奥行きのあるドラマを
作ることができると判断しました。つまり、反体制の中からスタートした音二郎
が体制そのものである伊藤博文に水揚げされた貞奴という芸者と一緒になる。そ
のふたりが時代の荒波に揉まれ、時計の振り子のように揺れ動くことによって、
自由民権運動などの反体制側の人物も藩閥政府の体制側の人物も両方ともドラマ
に取り込むことができ、幅広いダイナミックなドラマを作ることができると考え
たのです。
2、私がドラマをこのように考えたのは、かねてから明治の近代思想史に興味を持
っていたからです。
私は京都で生まれ、幼少の頃、両親の出身地である高知県に疎開しました。高
知県の南西部四万十川の河口の町中村市で十歳から二十一歳までの多感な時期を
過ごしました。もともと高知県は自由民権の発祥の地であり、私は自由党が地主
階級やブルジョアジーの党となる以前の、藩閥政府に対する反体制運動の母体で
あった頃の諸人物に興味を感じておりました。
特に中村市と言えば幸徳秋水の出身地であり、大逆事件で国家権力のフレーム
アップの網にかかり無期懲役となった坂本清馬が出所後に住んだ町でもありま
す。私は秋水、清馬、それから同じく大逆事件で死刑となった奥宮建之という奇
妙な人物にも興味を感じておりました。昭和五十七年頃、奥宮建之の評伝(糸屋
寿雄著)を読み、彼の土佐人らしく多血質で燃え上がりやすいと同時に、実に雑
駁で無計画なところにおかしみを感じ、この人物の栄光と悲惨な生涯をいつかド
ラマで描きたいものだとかねがね考えていました。このように、反体制の中で滅
亡していく人物にはとりわけ強い共感があったのです。
そこで、今回、大河ドラマの脚本執筆の依頼を受けた時、私は、音二郎と貞奴
を動かすことによって、私が興味を抱いていたこれらの人物をドラマに登場させ
ることができるのではないか。坂本清馬までは無理かもしれないが、幸徳秋水は
万朝報の記者をしていた時期もあり、端役で登場させることも可能ではないかと
考えました。つまり、今回のドラマの中で、明治の近代思想史の流れを庶民サイ
ドからとらえて描くことができるのではないかと考えたのです。
そして、前々から私は自分自身のドラマ作法として
「ある人物について葛藤が生ずれば、必ずそれに反応する他の人物についても葛
藤が生じる。葛藤が事件を呼び、事件がさらにまた新たな事件を生むというよ
うに、ドラマというものは互いに反応しあって展開する。だからこそ、単色で
はなく多彩で重層的な効果をあげることができる」
という「ドラマツルギーにおける相対性原理」ともいうべきものを信じており、
今回、音二郎・貞奴ら四人の男女の中に、自由民権運動などの反体制側の人物も
藩閥政府の体制側の人物も両方ともドラマに取り込むことにより、多彩で重層的
なドラマが出来ると思ったのです。
これが今回のドラマに対する私のモチーフでした。

三、脚本執筆の受諾とその条件
私は、さっそく松尾CPにこの考えを伝え、私のモチーフとそのために必要な新
たな登場人物の追加について、杉本さんの了解を得てほしいと申し出ました。
松尾CPはすぐさま杉本さんと連絡を取り、杉本さんは私の申し出を承諾された
ので、五十八年八月、私は正式に脚本執筆を受諾しました。

四、脚本執筆の準備に入るまで
当時、私は既に、五十九年二月ころまでテレビ朝日の『妻たちの熱い午後』や二
時間ドラマ『家族ゲーム2』などの仕事が入っていましたので、その仕事が終了し
た時点で、大河ドラマの本格的な準備に入ることにしました。
その間に、五十八年秋から、NHKで収集した参考資料がダンボールに荷造りさ
れて、順次送られてきました。
また、五十八年の暮れから新年にかけて、NHKの計らいで数回にわたって杉本
さんと会食し、新作『冥府回廊』の構想を聞いたり、打ち合わせをしました。

五、脚本執筆の準備
1、昭和五十九年二月末に、杉本さんの『冥府回廊』の第一回分生原稿が出来上が
ってきましたので、この時より本格的な準備に取りかかりました。つまり、杉本
さんの生原稿を読み、これまでNHKと私が収集した膨大な参考資料(乙第四六
号証松尾武作成の陳述書の別表3に記載の通り)の読破を始めました。
なお、収集・読破した参考資料のうち、明治の近代思想史の流れを庶民サイド
からとらえて描くために必要な主な資料は次のようなものでした。
『日本の歴史「21近代国家の出発」』 (中央公論社)
『日本の歴史「22大日本帝国の試練」』(中央公論社)
『日本の歴史「23大正デモクラシー」』(中央公論社)
『明治編年史』全十四巻(本邦書籍)
『明治人――その青春群像』色川大吉(筑摩書房)
『加波山事件』東洋文庫79(平凡社)
『大逆事件アルバム――幸徳秋水とその周辺』(日本図書センター)
『まむしの周六』三好徹(中央公論社)
『明治文学全集――岩野泡鳴集』(講談社)
『流行歌明治大正史』添田唖蝉坊(刀水書房)
『明治百話』篠田鉱造(角川選書)
『女百話』篠田鉱造(角川選書)
『日本近代史――黒船から敗戦まで』西岡虎之介、鹿野政直(筑摩書房)
『岩野泡鳴伝』舟橋聖一(角川選書)
2、昭和五十九年三月末、私は、NHKのスタッフらと箱根で合宿をし、ドラマ全
五十回のおおまかな区分割りをし、これを全員で検討し、ドラマ全体の流れが掴
めるようにしました。この区割り(各回分が一、二行程度のメモ)を元にして、
私と助手の松島利昭君は、主要人物年表(乙第一五号証)を参考にしながら、同
年四月一二日、ドラマ全体の流れを構成案(乙第九号証)としてまとめました。
3、翌五月三日から松尾CPと共に、ロンドン・パリと音二郎と貞奴の行跡を追っ
てシナリオハンティングに出かけました。パリからロスに飛び、そこで清水CD
らと合流し、アメリカでの音二郎一座の巡業の行跡を踏襲しました。その間、音
二郎一座が出演した劇場・宿泊したホテルなども見つかり、また多くの資料も収
集でき、実に有意義なシナリオハンティングをすることができました。

六、脚本執筆のプロセス
1、昭和五十九年六月、杉本さんの『冥府回廊』が完成した時点で、私はいよいよ
実際の脚本の執筆に入りました。
第一回放送分は時間にして九〇分、通常の回の倍の分量であり、一年間の大河
ドラマのスタート部分として、ドラマの方向性の決定・主要登場人物の紹介とい
う意味で最も重要な部分です。
そこで、この第一回放送分のファーストシーンは前々から決めていた通り、明
治十五年、板垣退助が岐阜で襲われる場面にしました。「板垣死すとも自由は死
せず」で有名な場面です。
この有名な場面を全五十回の大河ドラマのファーストシーンに持ってくること
により、私はこのドラマの時代背景と政治的季節を分かりやすく表現できると同
時に、明治の政治思想史を庶民の側から語るという切り口をも示すことができる
と考えたのです。
そしてドラマは、その板垣遭難の場面から十年という時間を先行させ、音二郎
が自分の劇団で『板垣君遭難実記』を演じているシーンに繋ぎ、それを観客とし
て貞奴が見ているという構成にしました。
これは、板垣襲撃事件という明治の有名な政治的事件を挟んで、片や自由民権
運動へ郷愁と共感を抱きながらこの事件を上演する音二郎、片やその板垣退助が
攻撃する藩閥政府の首魁伊藤博文によって後に水揚げされる貞奴、この役者と観
客というふたりを描くことにより「両者の関係を明治の政治思想史とからめて描
く」という『春の波濤』のモチーフのひとつを提示しようという意図でした。こ
れによって、私がつくりたいドラマの方向性・・明治の近代思想史から芸能史に
わたる背景を踏まえて展開される男女の葛藤劇・・を端的に示すことができると
考えたのです。
2、第一回放送分から第三回放送分までは、制作スタッフらと、とくに綿密に打合
せを行ないました。というのは、シナリオというものは、いくら前もって打ち合
わせしておいても、実際にいざ書いてみなくてはどういうものになるか分らない
ものです。そこで、具体的な執筆作業の中で全五〇回の大河ドラマの基礎となる
トーン及びドラマの方向性を調整していくために、第一回放送分から第三回放送
分までは、とくに綿密に打合せを行なう必要があったのです。
これを具体的に説明しますと、
1、まず、ドラマ展開のアウトラインを作ります(これを第一回放送分について
再現したものが別表2です)。
2、次に、シーンごとの箱書を作ります(これを第一回放送分について一部分再
現したものが別表3です)。
3、そして、この箱書をめぐって、松尾CPや清水CDら制作スタッフと打合せ
を行ない、彼らの意見も取り入れていきます。
4、その上で、箱書に従って脚本を書いていきます。この執筆に通常四日ほどか
かります。当時私はカナタイプを使っていたので、打ち終わると助手に清書し
てもらいます。
5、最初の原稿(準備稿といいます)がガリ版で印刷されてくると、これを読ん
だ松尾CPや清水CDら制作スタッフから意見が出されます。また、考証担当
の諸先生方からも、事実関係や時代考証に関して意見が出されます。そこで、
これらの意見を検討し不適当な点を訂正するなどして、第二稿を作成します。
この作成には、簡単なものであれば一日、複雑なものになると三日ほどかかり
ます。
6、これを再び制作スタッフらに読んでもらい、良ければこれが決定稿となりま
すが、まだ意見が出されて第三稿を作成することもあります。
7、以上のような手順を経て、ドラマ第一回放送分から第三回放送分までの脚本
は次のような日程で完成しました。
五十九年七月二十八日  第一回放送分の準備稿完成
八月 六日          第二回放送分の準備稿完成
八月 十一日         第三回放送分の準備稿完成
八月二十一日        第一回から第三回放送分の決定稿完成
3、第四回放送分以降の脚本も、基本的には以上のような手順を経て順次執筆して
いきました。このようにして回を重ねるごとに、ドラマの基礎となるトーン及び
ドラマの方向性が定まり、脚本の検討や直しはスムーズに進行していきました。
こうして、一年余りにも及ぶ執筆期間をかけて、翌年の昭和六十年八月末には、
全五十回にわたる脚本執筆が全て完成しました。

第三、山口玲子著『女優貞奴』との係わりについて
山口玲子氏の『女優貞奴』は、昭和五十八年秋ごろ、NHKから送られてきた膨
大な参考資料の中にあり、私は膨大な参考資料のひとつとして読みました。
「それまでに読んだ貞奴や音二郎に関する多くの資料・文献から、貞奴に関する
事実関係を洗い出し再整理したものであり、いわば貞奴辞典ともいうべき趣の
評伝」
というのがそのときの感想でした。
なお、私は、これまで一度も山口氏とお会いしたこともなければ、電話などでお
話したこともありません。

第四、大河ドラマ『春の波濤』と山口玲子著『女優貞奴』について
一、両作品を対比した結論について
ドラマ『春の波濤』と山口氏の『女優貞奴』の特長を一言で言いますと、
ドラマ『春の波濤』は
「音二郎・貞奴・桃介・房子の四人の男女をめぐる波乱に満ちた愛憎劇と、自由民
権運動に関わり明治の激動期を生き抜いた人たちの栄光と悲惨な生涯の物語を、
日々の生活レベルで捉え、人間の赤裸々な姿を描いたもの」
というものです。
ところが、山口氏の『女優貞奴』は
「多くの資料の中から貞奴の関する事実関係を点検・再整理した資料の集大成」
にほかならず、そこにドラマ『春の波濤』で展開されたストーリー(=物語性)は
全くありません。
そこで、この結論について、以下、私の作風から説き起こして解説します。

二、私の作風――私の作品の根底にある作家の精神世界――について
山口氏の作品は、多くの資料を再整理し、当時の不条理な男女差別制度に対し激
しく反抗し格闘したことを示す事実資料を中心に、時系列に沿って主人公の生涯を
記述してあります。資料から主人公の生涯を抽出するそのやり方を見ていると、山
口氏には、不条理な差別制度と対決する人物の不屈の姿勢に対して、常に一貫した
深い関心があるように見受けられます。
しかし、私の立場はこれとは全然異なります。そもそも私はシリアスになるのが
厭なのです。私の関心は不条理な制度と対決するなどというシリアスなものにはな
く、むしろ、このような制度との対決といった次元を超えたところに露呈される
「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」にあるのです。従って、私は主人公たち
を、魑魅魍魎とした混沌たる自然の一部として、不条理な制度をも突き抜けたとこ
ろで展開される彼らの赤裸々な人生を描こうとします。
従って、山口氏の作品において「男女の愛憎」とか「男女の三角関係」とかいう
物語は、不条理な制度との不屈な闘いという主体性ある生き方からすれば、確かに
実にちゃんちゃらおかしい、まさに「刺身のつま」(第二回原告本人調書二一頁)
ほどの価値もない全くくだらない事柄でしょう。
しかし、私の作品にとって「男女の愛憎」とか「男女の三角関係」という物語
は、その中で「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」が余すところなく示される
という意味で、私にとって「刺身のとろ」にも比すべく、すごくおいしい願っても
ない重要な物語なのです。だから、「いつの時代も男女の三角関係はドラマの核と
して有効である」(乙第四九号証中の「物書き冥利につきるかも」五〇頁上段三行
目)とはっきり言明したのです。
このように、作家としての私の関心は専ら「自然の一部としての人間の赤裸々な
姿」にあるのであって、山口氏の関心とはもともと本質的に相容れないものです。

三、ドラマ『春の波濤』のストーリー(=物語性)について
1、私の作風とドラマ『春の波濤』のストーリー
以上述べたような私の作家としての特質を、私はドラマ『春の波濤』の中で、
思う存分発揮しました。
(1)、まず、私がこのドラマで描こうとしたものは、一方で、音二郎・貞奴・桃介・
房子の四人の男女をめぐるドロドロした愛憎の行方であり、他方で、自由民権運
動に関わり、明治の激動期を生き抜いた人たちの栄光と悲惨な生涯でした。
つまり、「男女の三角関係」をドラマの核と信じている私にとって、四人の男
女をめぐるドロドロした愛憎劇を描くことはまったく自然のことであり、他方、
社会制度を越えたところで露呈する「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」を
描くことを信条としている私にとって、奥平をはじめとして明治の激動期を野生
児・自然児のごとく生き抜いた人々を描くこともまた自然のことでした。
(2)、しかもこのうち、貞奴に関する物語も、その山場は殆ど「男女の三角関係」に
まつわる愛憎劇として作りました。全編を通じて展開される桃介をめぐる房子と
の三角関係をはじめとし、貞奴の生涯を左の図のように幾重もの三角関係による
男女の愛憎の物語として構成したのです。私は、そこで、制度や因習を突き抜け
た「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」として、貞奴たちの「あるがままの
男女の姿」をまるごと描こうとしたのです。

(3)、これに対して、山口氏の『女優貞奴』には、貞奴をめぐるドロドロした男女の
三角関係について具体的な物語は一切描かれていません(もともと男女の愛憎を
「刺身のつま」ほどの価値もないと信じている氏の立場からすれば、至極当然の
ことでしょう)。
2、ドラマ『春の波濤』の主人公について
(1)、もともと私には貞奴の生涯だけを一貫して描こうなどという気はさらさらあり
ませんでした。私のもっぱらの関心は、一方で、音二郎・貞奴・桃介・房子の四
人の男女たちのドロドロした愛憎の行方であり、他方で、奥平・黒岩・八重子・
又吉・覚造など自由民権運動に関わり、明治の激動期を生き抜いた人たちの栄光
と悲惨な生涯でありました。つまり、このドラマで、このような極めて多彩な登
場人物たちの群像劇を描こうとしたのです。
(2)、しかもこのうち、貞奴の捉え方についても、私は貞奴を女の意地を貫いた人物
とりわけ夫に徹底的に尽くすために女の意地を貫き通した人物として捉えました
(乙第四九号証中の「物書き冥利につきるかも」五〇頁下段一六行目以下参照)
つまり、女性として社会的に目覚め、成長し、向上をめざして行動を起こしてい
くような人物ではなく、あくまでも夫音二郎に徹底的に尽くすために女の意地を
貫き、そのまま修羅場と時代を突っ走った人物として捉えたのです。
その意味で、貞奴を社会的な自覚や理性で行動するタイプでははなく、何より
もまずほとばしる感情のままに突っ走るタイプの女性として、「悔しい!」「見
返してやる!」と思ったらとことん何処までも意地を貫き通す根性の持ち主とし
て描いたのです。例えば、
「桃介が房子の金でアメリカ留学したことを意識して、貞奴は自分の金で音二郎
を海外遊学させると啖呵を切る」(第一六回。甲第三号証の二シナリオ『春の
波濤2.』一五七頁上段)のも
「洋行帰りの桃介と房子の結婚を意識して、貞奴も洋行帰りの音二郎と結婚式を
挙げようとする」(第一六回。同右一六一頁下段)のも
「演劇改良のために傷だらけになった音二郎を介抱しながら、貞奴は音二郎とと
もに演劇改良に邁進することを誓う」(第三五回。甲第三号証の四シナリオ
『春の波濤4.』一三四頁〜一三五頁)のも
「音二郎の心情を察し貞奴は、臨終の音二郎を、医師や遺族の反対を説き伏せて
舞台に運ぶ」(第四一回。甲第三号証の五シナリオ『春の波濤5.』一〇頁〜一
二頁)のも
全て貞奴の意地、それも夫音二郎に徹底的に尽くす女の意地から出たものとして
描きました。
またその徹底した意地のため、ときには破れかぶれににもなります。例えば、
「桃介が房子の婿となり、房子の金でアメリカ留学すると知ったとき、逆上した
貞奴が悔しさの余り、芸者姿のまま往来に座り込んだまま動かない」(第七
回。甲第三号証の一シナリオ『春の波濤1.』一九八頁〜二〇二頁)或いは
「雷吉の実の父親が音二郎だと知って、逆上した貞奴は悔しさの余り、カミソリ
でまげを切り落とし、鬼女のように荒れ狂う」(第二二〜二三回。甲第三号証
の三シナリオ『春の波濤3.』五六頁〜六〇頁)
という風に、生な女の感情を爆発させるのです。
(3)、これに対して、山口氏の『女優貞奴』には、夫音二郎に徹底的に尽くすために
女の意地を貫いた貞奴の具体的な姿は一切描かれていません(この点も、女性と
して社会的に目覚め不条理な差別制度と闘った貞奴を発見し、これを描こうとし
た氏の立場からすれば、これまた当然のことでしょう)。

四、私の作品世界に対する評論家の論評
 以上説明した私の作家としての特質は、既に評論家の論評によって明らかにされ
ているものです。例えば、佐怒賀三夫氏の『中島丈博の世界』(季刊「新放送文
化」九一年秋号。乙第五六号証の一)、同『生身の人間のデリカシー』(月刊「ド
ラマ」九〇年六月号。乙第五六号証の二)、鬼頭麟兵氏の『回帰願望考』(月刊
「ドラマ」八四年四月号。乙第五六号証の三)、鳥山拡氏の『中島丈博論(第一回
〜第三回)』(月刊「ドラマ」九〇年四月号〜六月号。乙第五六号証の四〜六)な
どがあり、そこでは次のように論評されています。
1、まず、私の作品世界全般については、
「中島作品の世界は、一口で言うと、生身の人間のデリカシーを感じさせる。
前向きに生きて、人間として向上をめざそうとか、責任感を持とうとか、正義
感に燃えるとか、そういう世界ではない。全く裏の世界というか、自分をまる
ごと出して、セックスも天下国家も同じレベルで、むしろ天下国家よりもセッ
クスで悩んでいる。そういう個人的なごく自然な人間の営みみたいなもの、人
間の肌ざわりといったものを大事にしている作家だ」(佐怒賀『生身の人間の
デリカシー』七頁)
「 自然が騒ぐ。
中島作品の雰囲気を言いあらわした言葉だが、自分の足元にある魑魅魍魎と
感じられる世界に対してこれほど誠実な作家はいない。」(佐怒賀『中島丈博
の世界』一〇七頁)
確かに私の作家としての資質からして、私はドラマ『春の波濤』において、貞
奴を「男女差別の社会制度に憤りを覚え、正義感に燃え、社会の向上をめざして
このような制度や天下国家と断固闘うような人物」として描く気は全くありませ
んでした。あくまでも、「夫音二郎に徹底的に尽くすためにあれこれ悩んだり、
意地を張ったりする人物」として描きました。それは、いみじくも佐怒賀氏が指
摘されたように、貞奴の「そういう個人的なごく自然な人間の営みみたいなも
の」、貞奴の「人間の肌ざわりといったものを大事にして」描こうとしたものな
のです。
また、私が貞奴にまつわる幾重もの三角関係を描こうとしたのも、そこに「自
分の足元にある魑魅魍魎と感じられる世界」があり、そこで、あたかも「自然が
騒ぐ」かのように、貞奴たちのあるがままの男女の姿をまるごと描こうとしたか
らなのです。
2、次に、私の代表作がいずれも「自然の一部としての人間の赤裸々な姿」を描こ
うとしたものであることを紹介したものとして、
@.現代の都市生活者の間ではリアリティーを失っている「愛」や「性」や「憎
悪」や「悲しみ」といった人間の姿をまるごととらえる物語性を描いた『祭り
の準備』(昭和五〇年)について、佐怒賀『中島丈博の世界』一〇二頁以下。
A.老人と詐欺師の青年とのニセ家族という疑似的親子関係を描いた『極楽家
族』(昭和五三年)について、鬼頭『回帰願望考』八頁。
B.夫殺しの過去を持つ女が、脚の萎えた娘を乳母車に乗せて巡礼する「永遠の
旅」を描いた『野のきよら山のきよらに光りさす』(昭和五八年)について、
鬼頭『回帰願望考』一〇〜一一頁。
C.組織社会の中で、一切の労働を拒否してなりふり構わず生きる男を描いた
『幸福な市民』(平成元年)について、佐怒賀『中島丈博の世界』一〇七頁。
D.残り少ない命を前にして、狂ったように求め合う老人の性の世界を真正面か
ら描いた『恋愛模様』(平成二年)について、佐怒賀『中島丈博の世界』一〇
六頁。
さらに注意しておきたいことは、私が老人問題や労働問題などいわゆる社会性
の強いテーマをドラマで取り上げるときでも、これを決して単なる社会問題とし
て描いたり、政治的メッセージを語ろうとするのではなく、あくまでもその問題
の中でナマナマしく露呈する「人間の赤裸々な姿」を描こうとしていることです
(佐怒賀『中島丈博の世界』一〇六頁下段終りから四行目以下。同文一〇七頁上
段終りから三行目以下参照)。
だから、私がドラマ『春の波濤』で明治の近代思想史を取り上げたことの意味
も、これを決して単なる社会思想問題として描こうというわけではなく、明治の
思想史というまさに激動の時代の枠組みの中でこそ、「人間の赤裸々な姿」が益
々ダイナミックに益々スケール大きく描ける筈だと、つまり、そういう場所でこ
そ「人間の姿をまるごととらえた物語性」が余すところなく描ける筈だと考えた
からなのです。
3、また、私は「いつの時代も男女の三角関係はドラマの核として有効である」と
信じて、これまで沢山の三角関係のドラマを書いてきましたが、これに関する論
評として
@.「中島作品に、しばしば繰り返される三角関係のモチーフ」を描いた『青春
戯画集』(昭和五六年)・『新・青春戯画集』(昭和五九年)・『汚れちまっ
た悲しみに』(平成三年)について、佐怒賀『中島丈博の世界』一〇五頁。
A.一人の男に二人の女の三角関係を描いた『庄内おんな風土記』(昭和六三
年)・『海照らし』(平成元年)について、佐怒賀『中島丈博の世界』一〇四
頁以下。
B.一組の夫婦を軸に四人の男女の三角関係を描いた『海峡』(昭和五六年)に
ついて、鳥山『中島丈博論(第二回)』一二五頁以下。
もちろんドラマ『春の波濤』でも、音二郎・貞奴・桃介・房子の四人の男女を
めぐる三角関係をはじめとし、様々な三角関係を描きました。

第五、ガイドブック『ドラマストーリー』について
1、ガイドブック『ドラマストーリー』の制作過程
昭和五十九年九月十四日に、日本放送出版協会より、ドラマ『春の波濤』に関
するガイドブックというべき『ドラマストーリー』の構成を依頼されました。
そこで、私は、翌十月後半に、赤坂近源旅館にカンヅメとなり、十日間ほどか
けて仕上げました。
当時、まだ『春の波濤』の脚本は、全五十回分中、十回程度までしか出来上が
っていませんでした。そこで、私と助手の松島君で手分けし、私が完成していた
十回までの脚本をもとにしてオッペケペーあたりまでを書き、それ以降の部分に
ついては、助手が構成案・主要人物年表などをもとにして書きました。私は自分
のパートを書き終えると、助手が書いた分をチェックし、完成した原稿を十一月
四日に日本放送出版協会に手渡しました。
さらに日本放送出版協会の方で若干手直したものが、『ドラマストーリー』と
して掲載されました。
2、ガイドブック『ドラマストーリー』の性格
右に述べた制作過程からも明らかなように、『ドラマストーリー』はもともと
視聴者向けの「ドラマのガイドブック」として作成されたものです。ドラマ『春
の波濤』のストーリーの梗概ではありません。
また言うまでもなく、この『ドラマストーリー』をもとにしてドラマ『春の波
濤』の脚本が書かれたわけでもありません。
実際この当時、ドラマ『春の波濤』の全体像はまだ鮮明に捉え切れていなかっ
たので、このガイドブックのほうはもっぱら四人の主人公に関する歴史的事実に
終始したものとなりました。また時代的にも、ガイドブックはドラマ『春の波
濤』全五十回分を網羅しておりません。
3、詫び状について
昭和六十年一月、このガイドブック『ドラマストーリー』について、山口氏か
らクレームが来たことを松尾CPから聞かされました。勿論、著作権侵害になる
とは思いませんでしたが、しかし、当時私は『春の波濤』の脚本執筆に忙殺され
る日々であり、このようなクレームがトラブルに拡大して脚本執筆に支障をきた
すようなことは第一に避けなければならないことでした。またNHKからも同様
の早期解決の勧めがあり、そこで、専らこの立場から、私は日本放送出版協会と
NHK側で作成した詫び状にサインしました。
この詫び状は早期解決のために大幅な譲歩を敢えて決断したものですが、それ
でも肝心の著作権侵害の点は勿論認めることはしませんでした。
4、ガイドブック『ドラマストーリー』と『女優貞奴』の類似について
前述の通り、『ドラマストーリー』は四人の男女に関する歴史的事実に終始し
たもので、先行資料に記載されている歴史的事実を参考にしながら作成されたも
のであるため、これとほぼ同じ先行資料を基づき構成された『女優貞奴』とたま
たま類似して見える箇所があったとしても、それは当然のことであり、何ら不思
議なことではありません。
また、本件裁判で山口氏より指摘のあった類似箇所というのは、先行資料に基
づく歴史的事実に過ぎないか、或いはごくありふれた慣用語などで構成された短
いフレーズに過ぎないかのいずれかであり、それらはとうてい山口氏の創作的な
表現と言えるものでありません。

第六、ドラマにまつわる色々なことについて
一、原作とドラマの関係について
山口氏は、本件裁判において
「ドラマ『春の波濤』が杉本さんの原作『マダム貞奴』『冥府回廊』と離れすぎて
いるのはおかしい」
という疑問を発しているように見受けられます。
しかし、ドラマは原作とはもともと別個の創作物であり、その忠実な再現ではあ
り得ないことは、現在のドラマの世界では常識です(甲第七号証『大河ドラマの歳
月』一六六頁以下参照)。
1、その理由は、ひとつには、ドラマは映像という表現方法の本質上、原作をその
まま描くことができない場合があるからです。
例えば、『冥府回廊』の中に房子が貞奴の手鏡によって強迫観念に追いこまれ
ていくくだりあり、ここは小説では非常に有効に表現できる場面ですが、しかし
私は、ドラマ『春の波濤』では採用しませんでした。というのは、この場面を映
像でいくら表現しようとしても視聴者を納得させるほどの効果はあげられないか
らです。鏡が貞の目玉のように迫ってきて、房子が遂にそれを叩き割ってしまう
という場面を映像と芝居でどのように表現できるのか、私は途方に暮れ、結局、
ドラマではこれを無視するより仕方がなかったのです。
2、もうひとつ、積極的な理由として、脚本家が面白いドラマを作るため、原作に
はないオリジナルなストーリーや登場人物を創作して加えるからです。
ドラマ『春の波濤』でも、私のオリジナルを取り入れるという前提でスタートし
たわけですが、そのような例は珍しくも何ともなく、映画・テレビの世界では枚
挙にいとまがありません。極端な場合には、原作の題名タイトルだけを使い、内
容はまったく別ということすらあります。
私も以前、昭和六三年にテレビ東京で放送された「月曜女のサスペンス・文豪
シリーズ」の枠で「森鴎外原作『即興詩人』より」のタイトルで『花盗人』とい
うドラマを書いたことがあります。
この『即興詩人』は長篇であり、一時間の民放単発ドラマに仕立てるために
は、全部を取り入れることはとうてい不可能です。そこで篇中の一エピソードで
ある、美少女アヌンチャタを争ってアントニオとベルナルドが決闘するという箇
所をふくらませたわけです。場所はフィレンツェが京都になり、アントニオが画
家志望の歌人に、ベルナルドは彼の幼少時代からの友人で警察官に、アヌンチャ
タは高校の美人教師にそれぞれ変わり、さらに原作には登場しない小悪魔的な女
子高校生を絡ませて、青春ドラマとしてつくり変えました。
このドラマを見た人は「『即興詩人』とはこんな話だったのか」と、原作を読
んだことのない人は誤解するかもしれないし、また原作を読んだ人は読んだなり
に吃驚するかもしれません。しかし、このようなドラマ化はドラマ製作の現場で
は何ら違和感なく受け止められています。原作と脚本との関係は、一般の人が考
えるほど厳密ではなく、さまざまな理由から、非常にフレキシブルに取り扱われ
ているのが現状なのです。

二、原作者の許諾が必要な場合について
私は数行の新聞記事からインスピレーションが沸き、脚本を書くことがありま
す。このように脚本を書くにあたっては、既存の新聞記事や作品などと関わりを持
つことがあるのですが、その際、私がその作品を無断で自由に使ってはならず、予
めその作品の著者に対し原作者の許諾を得る必要があると考えているのは、
「その作品のストーリーをそのまま或いは殆どそのまま敷き写しにして、脚本を作
る」
場合です。
それ以外の場合、例えば、数行の新聞記事からインスピレーションが沸き、脚本
を書く場合には「その作品のストーリーを敷き写しにして、脚本を作る」場合では
ないので、その記事の著者に対し原作者の許諾を得る必要はないと考えています。

三、ドラマにおける歴史的事実の位置付けについて
実在人物をモデルとしたドラマの場合には、何もかもすべてをフィクショナイ
ズするわけにはいきません。ある人物が生きた時間、その行動と時期、時代背景
というものを無視してしまっては、ドラマを観る人がたちまち嘘を感じ取って白
けてしまうからです。
そこで、ドラマをつくるために、どうしても曲げてはならない歴史的事実を踏
まえることが必要となります。例えば、
「音二郎と貞奴が欧米に漫遊した時期が、明治三十二年四月に出発し、三十四年
一月に帰国した」とか
「貞奴が伊藤博文の権妻であった」
とかいう事実はドラマにおいて曲げることができない歴史的事実です。
しかし、かといって余りに歴史的事実にこだわり過ぎ、全てを歴史的事実だけ
で作ってしまっても、それはニュースやドキュメント以上のものになりません。
歴史的事実というものはそのまま書き並べても、退屈で、冗長で、不純物がいっ
ぱい混じっていて、ドラマとしては少しも面白いものにならないのです。
これはシナリオ作家なら誰しも認めるところです。
そこで、ドラマをつくるときは、まず、たくさんの歴史的事実の中から曲げて
はならない事実とそうでない退屈で冗長な事実とに選り分けます。そして、曲げ
てはならない歴史的事実を踏まえて、さらに登場人物の感情が豊かに流れるよう
に新たにストーリーを作り上げ、具体的なディテールを通して描いていきます。
そこに、初めてドラマの花が開くのです。
つまり、ある範囲の歴史的事実の上に虚構としてのストーリーが仕組まれてい
るところにこそ、ドラマとしての感動があり、或いは涙があるのです。その意味
で、ドラマのドラマたる所以は、この虚構として仕組まれたストーリーとそのデ
ィテールの部分にあるのです。
そして、右の実例からも分かるように、ドラマにおいて曲げることができない
歴史的事実というものは、誰でも調べれば知ることができる公共の財産というべ
きものです。そこに著作権が発生することなど考えられません。
以上の通り、虚構として仕組まれたストーリーとそのディテールの部分こそ、
これまで私のみならず全てのシナリオ作家が全身全霊を賭けて創作しようと努力
してきたものであり、従って、この部分こそ作家としての証を示すものとして最
も尊重されるべきものと考えます。
                                       以 上

     平成四年七月二十五日

                          中 島 丈 博 

弁護士 松井正道 殿

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