知(著作権)は誰のものか?
――イラストの大量・リピート無断使用の著作権侵害事件の提訴――
【事件の概要】
原告:村川正敏。15年ほどフリーのイラストレーター。山梨県在住。
被告:(株)サンヨーテクニカ。自動車用品の製造販売。本社東京。
原告制作のイラストが、1998年より現在まで、被告会社の主力商品であるリモートコントロールによりエンジンの始動を行なう「スターボ」(STARBO)シリーズに、無断で、大量・くり返し使用。
無断使用を発見した原告より何度も著作権侵害の警告書を送付するが、被告は全く何の対応もナシ。
2004年1月23日、提訴。
【本件裁判の意義】――泣き寝入りしない、本当の知的財産権の夜明けをめざす裁判――
 まず、被告の「完全黙殺」という対応ぶりに、本事件の本質が見事に示されています。つまり、個人の無名のクリエーターが自分の著作権を主張するとはもってのほか、という知的財産権無視の現実です。そして、これが実際、業界のなかば常識なのです。これに対して、これまで、個人の弱者であるクリエーターは泣き寝入りしてきました。しかし、本件の原告は、「それはおかしい。ボッタクリではないか。そんなことを認めていたら、いつまでたってもクリエーターの地位は変わらない」と考え、業界の常識を問い直す裁判を起こすことにしたのです。だから、この裁判は、単に原告個人の著作権侵害の救済を求める裁判ではありません。
提訴当日、司法記者クラブでの記者会見に参加した、イラストレーターとして著名な加藤直之さんもこう言いました。
「実は、今回のような著作権侵害事件は山ほどあります。今回はかなりひどい事件ですが、これよりもっとひどい事件も一杯あります。しかし、実際上、それらが裁判になることは殆どないのです。だから、広告業界の人たちは、自分たちがやっていることに何も問題がないと思い込んでしまっています。実は、これこそ最も問題なのです」
著作権侵害自体が問題なのではありません。著作権侵害が著作権侵害と認められないような業界の「常識」こそが最大の問題なのです。
その意味で、これは、今、敷金返還や入学金の返還など様々な分野で問題となっている業界のボッタクリを告発する裁判のひとつです。言い換えれば、これまでまかり通ってきた経済的強者の常識に対し、普遍的な市民の常識でもってこれを問い直す裁判です。
また、著作権侵害が著作権侵害と認められない結果、ここでは、個人のクリエーターの著作権は絵空事の空虚なものでしかありません。しかし、誰がなんと言おうと、現実に、著作物(コンテンツ)という価値を創造したのは、まぎれもない個々人のクリエーターの人たちなのです。だから、この裁判は個人の権利を取り戻す裁判です、言い換えれば、市民(個人)の実質的自由を回復する裁判のひとつなのです。
加藤直之さんは、この日
「この事件で絶対に許せないことがある。それは、人の絵を勝手に改変して使ったことです」
とも言いました。これは、クリエーターの子どもである作品の命を奪うにひとしい悪行です。その結果、クリエーターの人格は無残にも踏みにじられたのです。従って、この裁判とは、クリエーターの人格無視に抗議する裁判です。そして、その抗議を通じて、より根本的には個人の尊厳を取り戻す裁判のひとつでもあります。
今日ほど、知財、知財の保護と叫ばれる時代はありません。しかし、そこに最も欠けているのが、個人のクリエーター・アーティストたちに対する正当な保護です。彼らが依然、全く日の当たらない無法の立場に追いやられているにもかかわらず、そのことが全然顧みられていないからです。そして、現実のクリエーター・アーティストたちにとって最も重要な教えとは――我慢することなのです。
しかし、クリエーター・アーティストは、果して、使い回しされる猿回しなのか?冗談じゃない。彼らこそ、れっきとした人格を持った独立した人間であり、コンテンツの価値の創造者である。その価値はどんなに札束を積まれても作れるものではないのです。
価値の創造者は、誰であろうとも、どこにいようと、価値の創造者である。彼らにはひとしく価値の創造者に相応しいフェアな保護が与えられるべきである。
そもそも本当の知的財産権の時代は、こうした個人の創作者の手によって築かれた時、初めて到来するのです。本裁判が、知的財産権の夜明けをめざして貴重な一歩になりたいと思っています。
以 上
*注
原告自身による本裁判のホームページは→こちら