コンテンツIDフォーラム国際会議での報告

2001年4月20日

目次

1、CIDFの試みは、著作権法等の法律に、いかなる影響をもたらすものか?

果して大変革をもたらすか?

2、CIDFの試みは、著作物の利用に関する契約に、いかなる影響をもたらすものか?

果して大変革をもたらすか?

3、CIDFの試みによって生じる新しい法律問題


本文

1、CIDFの試みは、著作権法等の法律に、いかなる影響をもたらすものか?果して大変革をもたらすか?

(1)、結論
  ノー。

(2)、理由
 CIDFの試みというのは、単に、インターネットによるコンテンツ配信の当然の帰結であって、それ自体が何か特別目新しいものではないから。

 しかし、「インターネットによるコンテンツ配信の登場」それ自体が、実は画期的なものであって、それが著作権法等の法律を根本から覆す要素をはらんでいるため、その結果、この「インターネットによるコンテンツ配信」を単に助長するだけのCIDFの試みも、人によっては非常に挑発的なものに映ってしまう。

 そこで、今、「インターネットによるコンテンツ配信」が、著作権法等の法律にもたらす影響について、少し検討してみたい。

★「インターネットによるコンテンツ配信」が、著作権法等の法律にもたらす影響

著作権法というのは、近代法の中でも、最も奇妙奇天烈、意味不明の法律であるが、これまでその著作権法が、暗黙のうちに想定してきたシステムというものがある。

@.流通過程の根本的な変化に伴う、違法行為の大衆化

そのひとつが、元々、著作権法は、著作物の流通過程について、万人が著作物を流通させることができるという事態を想定していない。いわば、資本と力を持つ一部の者(企業)だけが流通過程を担当できるという暗黙の前提で、法制度を構築してきた。

→そこで、著作物の流通過程が一部の者が独占するという事態に対応して、このような経済秩序を撹乱する側の人間もまた、一部の者(いわゆる海賊版業者)に限られた。いわば、著作物の流通過程に登場するのは、いずれにせよ、一部の特権的な人たちだけだった。

ところが、インターネットの登場がそれを抜本的に変えてしまった。一定の情報と一定の才能さえあれば、万人が著作物の流通過程に参加することが可能になった。これは歴史上、画期的なことである。

→ところで、いわば流通過程の大衆化に伴って、この過程で違法な行為を侵す者もまた、かつての一部の特権階層(海賊版業者)から、ごく普通の人たちに拡大・変貌していった。

Ex.日本の例:数年前、インターネットに有名な歌手の歌を無断でアップロードしている者が初めて逮捕されたが、大騒ぎして捕まえてみたら、高校生だった。

       ↓

いわば、インターネットの登場に伴い、違法行為の大衆化も進行

       ↓

その方面から、著作権法の根本的な見直しが不可欠。

具体的には、

一方で、今まで、一般大衆は原則として違法行為を侵すことはないという前提で「私的複製の自由」(30条)が緩やかに認められていたが、今後、インターネットがらみで、その適法範囲の見直しが必要。

他方で、本来、刑事責任の規定は無法者の海賊版業者を前提にして作られてきたものであるが、今後、一般大衆の違法行為がらみで、刑事責任の適用の見直しが不可欠→もっと啓蒙的な処置が必要。


 A.著作物のデジタル化への進行がもたらす根本的な変化

なぜ、ここで、「著作物のデジタル化」のことを取り上げるのか。というのは、「著作物のデジタル化」は、音楽でいえば、CDの登場以来、既にお馴染みの現象のはずだから。

しかし、著作物の「デジタル化」という現象は、それが「インターネットによるコンテンツ配信」という現象と結合したとき、初めて、その特質が最も発揮されるものだから。つまり、「インターネットによるコンテンツ配信」が本格化したとき、初めて、著作物の「デジタル化」がもたらす影響も本格化・深刻化する。それは、「デジタル」において、コピーが、オリジナルと比べ何の劣化もなく、かついとも容易に可能になるということである。

→ところが、元々、著作権法は、そのような「デジタル化」が発達した事態を想定していない。つまり、著作物が「アナログ」という暗黙の前提で、法制度を構築してきた。だから、例えば、

A.「私的複製の自由」(30条)について、アナログ故に、著作物の複製は、オリジナルと比べ劣化が避けられず、かつその作業も簡単ではなかったという状況を前提にして、私的な複製を大目に見てきたところがある。

 ex.NYの地下鉄で演奏しているミュージシャン

 彼らが、演奏している楽曲の著作権使用料を権利者に支払っているとは思えない。


B.著作物の利用許諾契約についても、例えばポスターやカレンダーの絵は、複製を許諾した著作権者側は、年月の経過とともに、アナログ故に劣化が避けられず、鑑賞に堪えられなくなるということを前提に、契約をしている。つまり、複製物の劣化を前提に契約をしている(だから、一定期間の経過後、改めて契約することが可能になる)。

→ところが、デジタルとインターネットが結合すると、著作物がデジタルとして媒体なしで、デジタル自身として流通することが極めて容易に可能になる。

 それゆえ、そこでは、

 複製に伴う劣化も、複製物自体の劣化も基本的にはあり得ない。

       ↓

その方面から、著作権法の根本的な見直しが不可欠。

具体的には、「私的複製の自由」(30条)や教育目的での利用(3336条)などにおいて、著作権者の権利を制限した諸規定について、見直しが不可欠。さしあたり、デジタルとアナログとで扱いを区別すべきではないかと思う。

ex.NYの本屋では、客が座って、本の中身をノートに書き写している(=古典的な私的複製の一種)が、もちろん作家も出版社も文句を言わない。

私も、必要があってNYの本屋で本を調べたとき、モノグサをして、該当箇所をデジカメでパチパチ撮影した(デジタル化)。これだと非常に楽。しかし、これは果してやっていいことなのだろうか?


★結論

以上の通り、「インターネットによるコンテンツ配信」の登場によって著作権法を改正するのは、云うは易き、行い難しである。なぜなら、そもそも著作権法自体が、極めてヌエ的な法律だから、その改正のためには、著作権法自体の自己吟味が不可欠だからである。しかし、著作権法の自己吟味にとって、インターネットはチャンスである。なぜなら、インターネットは誰も予想もしなかったような新しい事態であり、それは古いものにとってリトマス試験紙ともいうべき存在だからである。


2、CIDFの試みは、著作物の利用に関する契約に、いかなる影響をもたらすものか?果して大変革をもたらすか?

(1)、結論

  何も変わらない(のではないか)。

(2)、理由

  前述した通り、IDFの試みというのは、単に、インターネットによるコンテンツ配信の当然の帰結であって、それ自体が何か特別目新しいものではないから。精々、IDをコンテンツに埋め込むことに関する合意を追加するだけのことではないか。

 しかし、前述した通り、「インターネットによるコンテンツ配信の登場」それ自体が、実は画期的なものであって、その登場自体によって、契約関係が根本から変更される可能性を秘めている。

かいつまんで云えば、

@、ひとつは、従来の著作物の契約の典型というのは、作家と出版社の出版契約のように、著作権者と流通をコントロールする一部の特権的な者との複製許諾契約のことであった。しかし、インターネットの登場により、著作物を流通過程に置くのに、いちいち、従来の流通業者を通さなくても済むようになった。つまり、古典的な意味での、出版社、レコード会社、テレビ局、映画会社といったものは、インターネット配信に関する限り、不要となったのである。その結果、「インターネットによるコンテンツ配信」の契約も、本質的には彼らが不要となる。

A、もうひとつは、「インターネットによるコンテンツ配信」の契約では、ネット配信を担当する「配信業者」(?)ともいうべき者が新たに登場する。これは、従来の著作物の契約当事者の目録にはなかった人種である。彼らは、或る意味では、万人が流通過程に参加できるインターネット環境について、そういう環境を提供する非常にパブリックな人たちである。そうした極めて高度の公共性を有している人たちが、にもかかわらず、もしその使命を忘れて、私利私欲に走るとき、インターネット環境は極めて不愉快なものに堕してしまう。そのようにならないために、高度の公共性を維持していくための工夫(例えば、法律による契約の規制)が、今後、極めて重要なものになると思う。


3、CIDFの試みによって生じる新しい法律問題

 

CIDFが予定している不正コピー防止の方法:「電子透かし」

 → 直接、不正コピーを禁止するものでない。

不正コピーそのものは防止できないが、不正コピーがなされた場合、事後的に、その追跡・発見を行なうもの。その意味で、抑止型の不正コピー防止の方法。

      ↓

このタイプの不正コピー防止の方法が、真正面から著作権法等の法律制度に登場したことはない。

そのため、この方法の登場により、次のような、新しいタイプの法律問題が生じる。

(1)、電子透かしを破るソフトの配布の禁止を規制

 最近、日本では、
A.技術的保護手段の回避を行うための専用ソフトなどを製造・頒布・公衆送信などを取り締まる、
B.権利管理情報の改変・削除・追加などを取り締まる、
ことを定めたが、今回問題になっている「電子透かしを破るソフトの配布の禁止」まで規制していない。今後、この種の規制が必要になると思う。


(2)、コンテンツの不正利用の監視とプライバシー侵害の問題

例えば、電子メールに、不正コピーしたコンテンツを添付して送った場合、それを送信の途中で、IDを検出して不正利用かどうかを監視することが技術的に可能であり、なおかつそれがコンテンツの不正利用の監視にとって、有益である。

しかし、このような監視が、他方で、電子メールを利用する個人(送信者・受信者)にとって、プライバシーの侵害にならないか、が問題となる。

この点、軽々しく結論を出せないが、こうした監視が、電子メールの中身まで及ぶ場合には明らかにプライバシーの侵害になるが、そこまで及ばず、単に、添付したコンテンツのIDだけを検出するのであれば、プライバシーの侵害とまでは言えない可能性が高くなると思う。


(次は、不正コピーの防止とは直接関係ないが)

(3)、コンテンツの利用内容の把握とプライバシー侵害の問題

これは、コンテンツIDが埋め込まれたコンテンツを、利用者がどのように利用しているのかという利用実態を把握するため、各利用者のパソコンから、利用に関する情報を収集することが技術的に可能であり、なおかつそれがコンテンツの利用内容の把握にとって、有益である。

しかし、このような把握が、他方で、個人のプライバシーの侵害にならないか、が問題となる。

まず、

(2)と大きく違う点は、検出(情報収集)がなされる場所である。(2)は、電子メールが送信される経路という、いわばパブリックな場所である。そこでは、或る程度、不正防止等の目的のために活動が許容されることは理解できる。しかし、(3)は、個々の利用者のパソコンである。これは、原則として個人の私的な領域の問題である。そのような場所に許諾なしに侵入してきて、個人情報を収集するのは、いわば人の家の部屋に勝手に上がり込んで覗き見するようなもので、私的な領域に対する侵害=プライバシーの侵害と言うべきだろう。

以 上