近況報告

6.10/93



ここ1ケ月、土・日も返上して著作権の大事件を4件ほど並行してヤラセられていたので、不器用な私は前回のサロンの感想をぜひ書こうと思ったにもかかわらず、書けない有様でした。

もともと私は日本人は大嫌いです(尤も、四季折々がめぐる季節など日本的なものが嫌いなわけではない)。ですから、前回、初参加した(そして恐らくもう二度と参加されないであろう)日系アメリカ人のサンドラ氏(以下センディと略称)の食事の席での姿を見ていて、彼女の、日本人の約3倍近い変化を見せる豊かな表情(要するに見ていて飽きない)や歯に衣を着せない、ブッチャケた赤裸々な態度に、・・あゝ、見かけは日本人と全く変わらなくとも、あれだけ解放的で、あれだけインターナショナルな人柄になれるのだ。いや、ありがたい、実にありがたいことだと途方もなく勇気づけられ、励まされたのです。

幸い、センディのすぐ脇には、これまた日本人こぼれした、小西さんが座ったもんだから、私はこの初対面同士の二人のやり取りを見ていて、思わず・・オレの目の前にいるのはひょっとして、永年の漫才コンビではないかと一瞬わが眼を疑ったほどです。

正直云って、私がこの著作権サロンに期待しているのものは、こういう歯に衣を着せない、率直でブッチャケた赤裸々な態度です。
2年前の秋に店じまいしたとき、正直なところ、今までの人間関係をきれいさっぱり洗い落として一から出直したいという気分でした。当時は小津安二郎のような「常に権威を嗤い続ける永遠のチンピラ激情少年」をもっと突き詰めたい、ただそればかり望んでいた私は、自然、タルコフスキーとか藤原新也とかに惹かれていきました。そういう世間から見てすごくケッタイな私に初めて親愛なるメッセージをくれた唯一の人が、ほかでもない「モーニング」の編集長栗原さんでした。

彼は、私の店じまいのあいさつ状に対して、彼一流の卒直さでこう書いてきたのです。

新ルートは、チョモランマに無酸素登頂して、凍える手で針の穴に糸を通
し、婦人服を縫い上げるような作業だと思います。とても愉快な気持ちがし
ます。この上は墜落死の寸前まで、おりおりの登山報告を受けたいと思いま
す。
……柳原さんの文章はますます"創作物向き"になってきているように思い
ます。とりわけ感情表現の面白さは、弁護士風情のものではない。完全転職
を勧めるほどではありませんが、かなり稀な不良文章家の素質!あり、だと
思います。身を誤るときのお手伝いはもちろんおまかせください。

ところが、この彼を一度わがサロンに連れてきた後、再び参加することを誘ったところ、デリカシー溢れる(歯切れの悪い!)栗原さんは、決して正面から理由を明らかにしませんでしたが、私のしつこい誘いを断りました。その対応ぶりを見ていて、私はふと、彼にはこのサロンがきっと肩が凝るんだろうなと思いました。

その原因がどこにあるのか、よく分かりません。ただ、私から見ておかしいのは(自分のことは見えないくせに、他人の欠点だけはよく見える)、私に対しても、今度新たに参加してきた富岡に対しても、(一部ですが)「センセ」呼ばわりすることです。これは実に肩の凝る言葉だ。
第一、弁護士くらい、うわべでは尊敬されて、腹の中ではバカにされている商売はない。その落差をカバーするための言葉が「センセ」なのだから、そういう垢でまみれた言葉をせっかくのこのサロンの場まで持ち込むのは勘弁してほしいというのが卒直な希望です。

そういう形式的で安易な言葉が飛びかう場所で、卒直な歯に衣を着せない、ブッチャケた態度が取れる筈もない。このサロンは、昼間のがんじがらめのシステムから解放されて、普段押し殺している自分を、センディみたいにさらけ出して、お互いに思い切って激突してみて、そこから思わぬ未知との遭遇があることを願って開いているものです。そのために、昼間の仮の姿・仮の人間関係はとっぱらって来て下さい。ここでは一個の人間が法の下の平等だけで、つき合っていく場にしたいのです。センディ、分かりますよね。

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