近況報告

4.10/93



先日、我がサロンに久々に参加した久保さんが「勉強会というのも3年ぐらいで終わりにするのがいいですよ。それで、あとはたまに同級会という感じで集まるのが」と言ってましたけど、私もこの「終わり」ということに全く同感でした。

元々この著作権勉強会は3年目ぐらいで一通りのプログラムは終えたわけで、そのあと、殆ど私の私利私欲ともいうべき興味に任せて、コンピュータさらに数学と脱線に脱線を重ねてきた訳で、その無理が今日の「サロン」なんていうダレタ名前に端的に表われています。

実は2年半前、店じまいするとき、こういうニセ学生やっていたらきっと食えなくなるだろうという不安と緊張で張りつめていました。しかし、その予感は見事に外れたのです。昨年なぞ、気がついたら不本意にも過去最高の収入となっていました。それで、法曹界でさえ一等地ででかい事務所を構えるという重厚長大なモダンが終わったこと、そして軽薄短小のポストモダンに移行したことを思い知ったのです。しかし、それは内心ほっとすると同時に極めて不愉快なことでした。なぜなら、それまで張りつめていた緊張が解けて、単にダラケてしまったからです。それでもう、こういう軽薄短小のポストモダンでゼニが取れたところでしょうもないことを知り、それでもうこのスタイルも終わりにしようと昨年末に8割方仕事を整理しました。

そして、この8年間やってきたNHKの大河ドラマの裁判の仕事が最終弁論の大詰めに至った昨年末、「日本的」なるものを最も体現しているNHKと大喧嘩をしてすっぱり手を切ったとき、もう、この「日本的」なるものとつきあうのは終わりにしようと、あとは文字通り世界に出るしかないと思い知らされたのです。

私は、現代の日本とくにポストモダンの日本はいろんな意味で「江戸時代」の延長だという気がします。だから、江戸を取りあげた佐藤さんの作品は、まさに現代日本の流行の先端を行っているのであって、これが「日本的」なる直木賞に相応しいのはある意味で当然です。その意味で、我々の著作権サロンもこの佐藤さんの直木賞受賞をもって、ひとまず第1期を終わりにしたらどうかと思います。

それは我々がこれで「日本的」なるものを終わりにするということです。そして、今後もし、何らかの集まりがあるとすれば、それは専ら「世界」を目指すことに向けられたものでしかないことを意味します。「世界史的認識」を目指すことによってのみ、このダラケた「日本的」なるものから逃走=闘争できるからです。

これが現在の率直な心境です。

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