近況報告

----チンピラ裁判官との17年ぶりの再会----

12.12/90


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 20過ぎに別れ別れになったきり、法廷で17年ぶりに再会した私の悪友裁判官の思い出をつづったものです。その後、彼は、結局、1回だけ著作権勉強会の冒頭に来たきり、二度と姿を現さなかった。チンピラのさすがの彼でもやはり、娑婆の世界と交流することがヤバかったのだろう。
 だが、そんなことをしていると、裁判官は神様でないとやっていけないか、或いは現にやっているように、隠れてこそこそ交流をするしかなくなるだろう。しかし、それは結局、裁判官として生きる屍への道でしかないと思う。


1、前回の勉強会から、新しく3人の方が参加されました。ひとりは、5年間パリで生活した経験のある高校3年生の男の子。ひとりは、編集プロダクションの社長さん(まだ若い女性の方です)。そして、人口問題を研究されているこれまた若い数学者の方(当日は、都合が悪く欠席でした)。かねてから異文化・異業種の人たちとの「交通」を待ち望んでいた私にとっては、これはもう願ってもないことで笑いが止まらんという感じです。それで今、もうひとり、是非、参加を勧めている奴がいるのです。そいつは、現在、東京地裁で裁判官 をやっている奴で、学生時代の友人です。

 彼とは、先月、(17年ゼミみたいに)17年ぶりにばったり会ったんです。場所は東京地裁の民事の法廷。
というのは、私が起こしたある民事事件を彼が担当することになったからでした。私は、当日、法廷でそのことを初めて知り、17年ぶりに彼と顔を合わせた瞬間、彼が17年前と全然変わっていないことに何故かものすごいショックを覚えました。
……そもそも法律とは完璧に縁もゆかりもなかった私が、このしょうもない法律の途に進もうなどと全く無茶苦茶な決断をしたのは、ただもう、法律の途に進むという彼と一緒にいたいという一念からでした(但し、それ以上特別なあれなんかじゃないよ)。彼は、当時、ギネスブックに乗るような過酷・熾烈な受験勉強で身も心も打ちのめされていた私を救ってくれ、激励してくれた私の恩人だったのです。しかし、一緒に司法試験の勉強をしたからといって、一緒に合格するという保証は全然なかったのです。浅はかなことに私は、これで彼と引き続き一緒にいられると独りで喜んでいた訳です。結果は、彼だけが早々と合格してしまい、他方、私はやがて受験のギネスブックのほうですっかり名を成すようになって、以後離れ離れになってしまったという訳なのです……
 法廷で顔を合わせ、ひとしきりやりとりを済ませたところで、突然、裁判官の彼が曰く
「センセ、今、お暇?」
(なぬ!こいつ。おいおい、ここは法廷なんだぜ。ちっとは、場所をわきまえろよな)
 私はうろたえ、裁判官とは一面識もないようなそしらぬ振りをして対応して見せたのですが、彼は全然無頓着に、
「じゃあ、ちょっと傍聴席で待っててくれます」
(困るなあ。裁判ちゅうのは、最低見かけだけは公正らしくするのが絶対必要なのに、この野郎ったら、平気で馴々しく振る舞いやがって。馬鹿たれが!)
……実は、彼と初めて知り合った時も、初対面の私のほうにズカズカ近寄ってきて、突然私の顔を撫で始めたのです。私はもうびっくり仰天して、
(こいつは◯◯か!)と身構えたのですが、彼曰く、
「いやあ、お前がさ、高校時代の親友にあんまり良く似ていたもんで、つい懐かしくてよお。まあ、いいじゃねえか」……
 私が傍聴席で残りの事件を処理している彼の姿を見ていると、例の昔のまんまで喋っている。日本の裁判所の病理現象の頂点に立つこのどうしようもない東京地裁で、よくぞまあこんなチンピラみたいな調子でヘラヘラやっている姿を眺めているうちに、だんだん感激してきて、おもわずジ 〜ンとしていると、
「センセ、こっち、こっち」
と彼が手招きしている。法廷の後ろにある裁判官用の控え室に来いというらしい。
 が、こっちは、たった今、原告代理人として裁判官と顔を合わせたばっかりなのに、それがふたりして仲良く密室に入っていったなんて、被告につつかれた暁にはどうするんだ!とモジモジしてると、法廷の管理をする廷吏の人が、良く心得たもので「さあどうぞ、どうぞ」と手招きしてくれる。
 それじぁまあ、お言葉に甘えて控室に入り、法服を脱いでワイシャツを腕まくりした彼と改めて17年ぶりの対面となった訳ですが、そのときの、私に対するやつの第一声は
「おい、タバコもってる?」
(さすが、チンピラ。見直したぜ!)
 是非ともこの男を我が勉強会に連れ込みたいと再確認した次第です。

2、今、衛星放送で映画の人気投票をやっていて、日本の女優ナンバーワンが吉永小百合でした。

 それで、先日「キューポラのある街」の放映を見て、そのあと「新・夢千代日記」を再放送を見ていて、改めて吉永小百合が戦後日本を象徴する役者であったことを実感しました。つまり「キューポラのある街」で私は、彼女の何者にも怖れぬ明るさ・力強さ・聡明さ・スピードに圧倒され、これが当時の高度経済成長を突き進もうとする産業資本主義の精神にぴったりくるものであったのだと思い、他方、「新・夢千代日記」では、死を迎えた彼女の暗さ・弱さ・優しさに、今や念願の経済成長という目標を達成し、終わりを迎えた現在の日本資本主義のひとつの姿を、産業資本主義の自己反省ともいうべき姿を象徴しているような気がしたのです。

 それにつけても、「キューポラのある街」での彼女の明るさ・力強さ・聡明さ・スピードを目の当たりにして、かつて日本にもこのような迫力ある産業資本主義の精神が巷に溢れていたのだ。で、今の時代にこの精神はいったい何処で見い出しうるだろうか。それはもはや、サッカーのような世界、それも日本レベルなどではなく、先日のトヨタカップのような世界レベルでの競争の中にしか残されていないのではないか。先週のトヨタカップの試合を見ていて、私はサッカーの選手というのは今や産業資本主義の精神を最も体現している稀な 連中なのではないか、元来資本主義というのは、異なる共同体の間での交換によって、差異を生み出し、利潤を獲得していくもので、しかもその時、頭と力とスピードによってより多くの利潤を獲得していくものですが、それは、まさにボールをめぐって選手と選手が激しくぶつかり合い(交換し合い)、しかもその時頭と力とスピードによって「いかにして空間と時間(という差異)を作り出すか」に苦心を払い、より多くの差異を作り出すことに成功した選手がより多くの得点を獲得できるのとまさに同じではないかと思ったのです。しかも資本主義には元来国籍・国境はなく、インターナショナルなものであって、この点もトヨタカップで優勝したイタリアのチームを見れば同じことがすぐ分かる。イタリアのチームには全世界から選手が集められている。国籍も肌の色も関係ない、完全にインターナショナルです。ここでは世界はひとつなのです。

 そして我々が今かくもサッカーの試合に熱狂するのは、かつて巷に溢れ、自らも参加することができた産業資本主義の精神に対するノスタルジー、今は失われた過去の栄光に対する郷愁ではないか、という気がしたのです。

 しかし、サッカーをただマスターベーションとして観る必要なんて全くない。昨年、天安門事件が起きてはじめて「今や世界はひとつ」であることを思い知り、ついで東欧の崩壊を目の当たりにして「社会主義も資本主義のひとつにすぎない。今や残されたことは、資本主義の探究」であることにようやく気がついた私は、コネや人脈や過去の遺産・ステイタスにもたれかかって生き延びていく腐った阿呆どもと異なり、「キューポラのある街」の主人公のように飽くまで自らの明るさ・力強さ・聡明さ・スピードで世界を切り開いていく、この産業資本主義の精神に満ち満ちたサッカーの世界から、限りなく励まされ、限りなくアグレシィヴの気持ちにさせられ、限りなくチンピラとして頑張れるような気にさせられるのです。これは何としても有り難い。  ところで、こんなもの今どきほかに何処で見つかるだろうか?----そう愚痴をこぼす時、しかし、私は自分が依然この閉鎖的な日本の空間の中でしか考えていないことに気づかされるのです。

 もはや日本なんかにこだわる必要はなにもない。現に宮沢賢治もそうだった。彼は日本と宇宙の「交通」する場所に立ち続けて、死ぬまでアグレシィヴに産業資本主義の精神を発揮し抜いたのです。その場所がイーハトーブであり、彼こそ文字通りの宇宙人だったのです。

 この点、アインシュタインも全く同じだ。彼を見ていて驚かされるのは、その世界性ととどまることを知らない知的活動ぶりです。ノーベル賞の賞状も他の賞状と一色単にダンボール箱に詰め込んでいた彼の仕事ぶりは、もはや賞をとるとかナンバーワンになるとかの目的とは無縁で、ただもう「生命力の躍動に突き動かされてひたすら永久運動のように休みなく動き続ける」マシーンとしか言いようがない、その意味で彼こそまさに現代の産業資本主義の精神を最も純粋に体現した人なのです。

 そう思い返すうちに、私は、他ならぬ自分がずっとものすごく憧れ続けてきたものがこの産業資本主義の精神であったと気がつきました。魂の渇望の探究とは、この産業資本主義の精神の探究であったのです。
 これでやっと現実と意識がつながったようです。
 あとは目的なき「はてしない物語」を体験し続けるだけです……

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