近況報告

----イーハトーブ家族貧乏旅行----

10.13/90


コメント
 90年の夏、岩手県一帯を家族で貧乏旅行したときの、ものすごい豊かな経験をつづったものです。
このとき、私はニッポンのイメージがすっかり変わってしまい、(まだいっぺんも外国に行ったことすらないのに)一瞬外国に来ているのではないかという錯覚に襲われた。
 そして、その旅行の締めくくりに訪れた宮沢賢治記念館で、彼の生前の活動ぶりを目の当たりにして、圧倒されてしまった。私は、これで自分の店じまいをする決意がついた。そして、賢治が晩年、病床で高等数学に何度も熱中していたことを知り、私もまた数学に熱中する決意がついた。
 40歳になろうとする矢先、このとき私は、賢治から40代の道筋を教わった。それは一瞬のことだった。しかし、それにはものすごいエネルギーが込められていた。
 そして、森毅に振られた私は、その後森毅の友人の山口昌哉氏に手紙を書き、運良く彼と知り合う機会を得た。彼は、数学がずっと嫌いな、そして今でも数学者が本質的には好きになれない、ユニークな数学者(日本を代表する数学者のひとり)だった。だから、上京すると、業界の数学者ばかりに会ってうんざりしたといって、よく私と会い、いろんな話をしてくれた。
 当時、私が数学のニセ学生をやっているのを知っていて、彼はこう私にアドヴァイスしてくれたのを今でも鮮明に憶えている。
「ねえ、柳原さん、数学の勉強って、やっぱり独学ですよ」


 今年の夏、850円の超特大時刻表を頼りに、家族で岩手県を、鈍行とユースとバスと徒歩で地を這うような貧乏旅行をしてきました。行けども行けども、山と空と雲の山田線の鈍行列車、神々しさに満ち、生命と治癒の源泉に相応しい海のもっとも海らしい宮古の浄土ケ浜。ここ岩手の地では、海ネコ、やどかりと言わず、雲にも川にも山にも生命が宿っていて、これら存在するもの全てが地球や宇宙との交通の途が開かれているに違いないような、あのベルリン天使の詩の如き天使たちがここそこに自在に飛び回っているに違いないような気配がしてなりませんでした。そして旅行の最終日、私はそれをしかと確認することができました。それが花巻の宮沢賢治記念館でした。

 私は、ここで賢治の精神的世界の広大さと強烈さにたゞたゞ圧倒されるばかりでした。そして彼の巨大な精神的世界を形づくったのが、他ならぬイーハトーブと呼び慣わされたこの岩手の地であることが了解できました。極論すれば、彼はたゞ鏡として、イーハトーブの広大で強烈な世界をあるがままに写し出したにすぎず、私は彼の鏡たらんとする努力、鏡であり続けようとするその迫力に打ちのめされる思いでした。その賢治が、晩年、高等数学に熱中した話を聞き知るに及び、この数学が世界の鏡たらんと志した詩人の魂にとって、いか なる意味を帯びたのだろうかと、心がかき乱されました。

 幸いこの夏は、仕事らしい仕事も入らず、数学にたっぷり時間を費やすことができました。とくにこのイーハトーブ旅行のあと読んだ「数学序説」(吉田洋一・赤攝也共著)には、全く意外なくらい衝撃を受けました。例えば、これまで断片的にしか知らなかったデカルトの解析幾何学、ニュートンらの微積分、デデキントの有理数の切断、カントールの無限集合の問題が、この順番で数学物語の首尾一貫した筋を構成していることを教えられ、曲がりなりにも数学的世界がまざまざと目の前に拡がる思いを体験し、改めて数学的世界の雄大さに圧倒されてしまいました。と同時に、私にとって、これほど率直に、これほど明快に、これほど論理的に首尾一貫して漏れなく、数学の世界を論じた本はこれまでになく、また私にとって、数学書が文芸書や映画のように宝物のように思えたことは初めてであり、さながら大切な詩集を手にしているような気分でした。それで、著作権勉強会の今年の夏合宿では、この数学的冒険と競馬の話で殆ど明け暮れたのです。ですから、自分でこう言っちゃあ何ですが………今までで最高に充実した合宿でしたね。

 それで、夏合宿のあといよいよ本格的に数学と物理をやるぞと意気込んでいた矢先、不幸にも次から次へと仕事が入り、その上その仕事というやつが、よりによって私の紛争学への好奇心と期待を駆り立てるものばっかりで、つい知らぬ間に仕事の世界にどっぷり浸ってしまったのです。毎日毎日の仕事が全く新しい眼で眺められ、この未知への体験に胸が高鳴るとき、私は、数学といういかに大切な詩集であれ、書物というものに身を委ねるよりは紛争という現実の方に身を委ねることを選択する人間のようでした。それで、ここ1ケ月余りは、シェイクスピアのお芝居のような世界を駆け巡って、尽きることのない興味に明け暮れ、すっかり数学の世界に御無沙汰をしてしまいました。

 それで、落ち着いて振り返ることもできなかった仕事がようやく一段落した今週初め、台風の中を京都へ行き、数学者の山口昌哉氏とそのお弟子さんたちに会ってきました。それは、数学者に会うということが生きた数学に触れることである、といっていいくらいの充実したひとときでした。このとき、私は、数学者が数学と取り組むということは、まさに詩人がおのれを鏡として世界の語り部として詩を書くように、現実と向かい合うことにほかならないのだということを了解しました。本来、数学者にとって、現実と向かい合うことと数学を取り組むことの間に差異はないのです。
 そう気がついた時、私がここ1ケ月ほど紛争という現実にのめり込んでいる間、数学と御無沙汰していたと思い込んでいたのは、数学に対する完璧な偏見でした。同時にそれは、紛争に対する私の全く貧しいイメージを暴露するものでした。今の私に必要なことは、数学こそ詩人の魂の発露にほかならないことを自覚すること、そして紛争という現実に立ち向かうとき、今までのように、王様を嗤い続ける激情のチンピラ少年だけでなく、紛争の詩人、紛争の語り部でありたいということを自覚することです。

願わくば、紛争の生涯チンピラ詩人でチンピラ数学人とならんことを。

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