近況報告

----夏合宿後の抱負----

9.27/89



 今年の夏合宿も、無事終了しました。参加の皆さん、ご苦労さまでした。

と同時に、この勉強会も3年間やってきて、今後どのようなものにしたらよいのかと、学生時代に引越ばかり6回もやってきた移り気な私はこの頃少し考えます。

 当初、商売のチャンスにという気がなかった訳ではありません。しかし、結果的には、商売のことを腹の中におさめて付きあうには、参加された皆さんの人柄が良すぎたようでした。それで、今ではそういう商売とか人脈とかいうけち臭い気持ちは捨てました。

 もとより私は義理で勉強会をやる気は毛頭ありません。
 今、私がこの勉強会に一番求めているものは「交通」です。それは、自己の世界を持っている他者との交流のことです。

 例えば、久保さんは、テレビマンとして或る信念を持った人だと思うのです。そして久保さんの信念は私には絶対相容れないところがあるのですが、しかしそれが故に久保さんの信念と交流し合えることは私にとってまたとない貴重な触発の場なのです。私には、このような異文化を持った(私にとっての)異邦人と緊張した対話をすることがスリリングな快感そのものなのです。その意味で私にとって著作権法の勉強自体は二次的なものでしかありません。第一、勉強なんてみんな自分で独習するものです。

 極端に言うと、私は今、或る緊張した「違和感」を求めて勉強会に臨みたいのです。もう、月並みな知識や情報を得るために参加するのは止めたいのです。ですから、これからは、例えば芸術を真に模倣するようなコンピュータを作るためには男と女のコンピュータが必要かどうかとか、著作権ビジネスと著作権法がずれているとしたらどちらがどう悪いのかとか、出来るだけ気にさわるようなことをどんどん議論したいと思うのです。

 私は、この5月に、著作権法が芸術や文化の発展などとは何の縁もゆかりもない代物であることに気づき、著作権法の仕事に心から嫌気がさし、そこで、弁護士稼業と手を切るためにまた遺言状の作成に着手しました。その遺言状が完成する寸前になって、弁護士稼業から足を洗うことをどうしても肯定できない何かがなお存在することを思い知らされたのです。そして、その正体を見定めるためあれこれと思い巡らしているうちに、中国で例の事件が勃発したのです。

 この時私は、7年前自動車に跳ね飛ばされた瞬間初めて聞いた自分の叫び声と同じような声を確かに聞いたのです。そして、私は完全に遅れていると悟りました。何故もっと早く、普段から違和感を追求しなかったのか、と痛恨の思いで悔やみました。

 以来、私にとって、現実を正しく認識したと称して、最も幻想的な観念や制度の中に陥っている救い難い現実主義者(=現実喪失者)と徹底的に闘うことこそ根本的課題に思えたのです。それが再び私を著作権法に戻らせたのです。私は今後、著作権法というものの欺瞞性・幻想性を骨の髄まで暴いていきたい積りです。

 ですからどうか、日夜、著作権ビジネスの現実に否応なしに直面し、幻想やイデオロギーの中に逃げ込む訳にはいかない皆さんの忌憚のない意見をどしどし聞かせて下さい。それが私にとって「交通」の最大の意義なのです。

 他方、弁護士稼業にこだわりうる何かということも、少しはっきりしてきました。今、私は、史記の「士は己を知るもののために死す」という態度とシュタイナーの「現実と断固として渡り合う」という実践の意味を考え詰めたいと思っています。それが私にとって「弁護士の楽屋裏」を考えることの意味でもあります。

 以上が私の現状報告です。

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