ネット時代を最後まで考え抜く著作権法とは(その1)

――著作権法のトータルな理解のためのひとつの試論*注1――

9.7/00


コメント

 以下の通り、コンテンツIDフォーラム(cIDf)主催の国際フォーラムがあり、そこで報告者として喋った内容です。


【Content Management Forum 2000】

会 期: 2000年9月5日(火)〜6日(水)
会 場: 東京ファッションタウン TFTホール (東京都江東区有明)
主 催: 株式会社IDGジャパン
     コンテンツIDフォーラム(cIDf)
後 援: 社団法人デジタルメディア協会(AMD)
    情報処理学会電子化知的財産・社会基盤研究会
    財団法人マルチメディアコンテンツ振興協会

●開幕記念講演 安田浩(cIDf会長、東京大学教授) 9月5日11:05〜(A会場)
 「デジタルルネッサンスの世紀にあたって
    ―コンテンツ流通のための5つの戦略的提案」

●開幕特別講演 Andre Chaubeau(世界映画協会会長)9月5日10:00〜(B会場)
 「デジタルテクノロジーは制作から配給面で世界の映画産業をこう変える!
    ―映画産業は変化の時代にどう対応するのか?」


* 注1
  本稿の試みの意味――ひとつの思考実験にほかならない。

 確かに、現実の著作権法は、2で後述するように「大量複製を可能にするテクノロジーを用いた産業経済秩序を維持する」企業法という単一体系の立場だけで貫かれている訳ではなく、これと同時に「著作者の権利を擁護し、芸術・文化を育成する」個人法の立場と調整するような複数体系の立場に立っている。

 しかし、そのことを明晰に理解するためにも、一度、ひとつの立場に立ってみて、その立場から徹底的に著作権法を再構築してみることが不可欠である。それが、ここでいう思考実験という意味である。


       《目 次》
0、  はじめに――問題提起――
1、  法律の任務と正体
2、  著作権法の正体
2−2、著作権法の正体を見通していないため生じる無用な混乱について
3、  著作権法の現代における変容
4、  著作権法の未来1――著作権法ルネサンスはどういう内容を持つようになるのか――
5、 おわり

0、 はじめに――問題提起――

 今では誰もが口にする、ネット時代に相応しい著作権法を構成していかなくては、と。
しかし、果してそれは今までの発想の単なる延長で可能なのだろうか?
そのためには今一度、ネット時代を最後まで考え抜く著作権法とは何か?と問い直す必要があると思う。それがまた、数ある法律の中でも飛びぬけて正体不明の著作権法を理解する鍵になると思う。

1、 法律の任務と正体

@. 法律の任務:次の2つのことがあるとされている。
(1)、生理的な現象を助長
(2)、病理的な現象を防止

 ex.株式会社の諸現象に対する商法の任務。
   (1)、多数の人からの資金調達 ←この現象を助長するための制度が株主有限責任の原則。
   (2)、取締役の独断専行 ←この現象を防止するために、競業禁止など様々な制度を設ける。

A. 法律の正体
 しかし、或る現象に対して、何をもって「生理的な現象」と認めるか、何をもって「病理的な現象」と認めるかは、人によって異なることがある。つまり、そこには、各人の法的な価値判断が投影されている。例えば、レズビアン・ゲイといった現象。

 従って、「法的な価値判断」の中身によって法律はその中身もその解釈の仕方も大きく変わってくる。そこで、この「法的な価値判断」をめぐって、法律家は激しく対立し論争することになる。

 例えば、刑法であれば、それは一見中立公正な法律のように見えて、刑法の任務・目的をめぐって、人権を重視する立場から「個人の法益を保護することにある」とする見解と秩序維持を重視する立場から「道義秩序を維持することにある」とする見解とが激しく対立しており、そしてこの対立が刑法のあらゆる細部の問題にまで及んで反復変奏されており、どちらの見解に立つかによって刑法の個々の条文の解釈が大いに異なってくる。

 これが、法律のイデオロギー的な性格を指摘される所以である。

2、 著作権法の正体

 ところで、著作権法は、こうした法律上の論争が最も少ない法律のひとつである。

 それが、著作権法の正体を一層分かりにくくさせている。なぜなら、法律のイデオロギー性格は、そのことが語られない時にこそ最も有効に機能しているものだから。

 しかし、著作権法の正体は、別の方面から明らかにされるであろう。それが「著作権法の過去=起源」である。

 亡くなった作家の後藤明生は、「小説の未来は小説の過去にある」と言っていた。
 これと同じような意味で、著作権法の未来を知り、未来を形成するためには、著作権法の過去に遡ってみる必要がある。

 そこで、もっか、このことに最も精力的に取り組んだ学者阿部浩二氏の文献によると、

 著作権は、
@一方で、もともと著作者を保護するために生まれたものではなく、著作者が創作した作品を世に提供する出版業者が自分たちの独占的な出版活動を正当化するための根拠として認められるようになったものである。

Aまた他方で、芸術・文化の保護育成のために生まれたものではなく、あくまでも、コンテンツの大量複製を可能にしたテクノロジーを用いた産業経済秩序を維持するためのものである。

つまり、
@.グーテンベルクの印刷術の発明以後、出版業者は最初、自分たちの独占的な出版活動を正当化するために、国王より印刷・出版の独占を保障される出版特権という制度を活用した。然るに、その後、こうした特権を享受する既存の出版業者に対し、これを持たない後発の出版業者たちから、何ゆえ彼らだけがこうした既得権を享受できるのか?といった異議申立てが出され、両者の間に抗争が生ずるに至る中で、その結果、出版の独占を正当化する根拠として、これまでの国王から与えられる出版特権に代わって、新しく、著作者から著作権(当時は精神的所有権と言った)を譲り受けているからだという説明が唱えられるに至ったのである。すなわち、著作権制度というのは、もともとコンテンツを大量複製して一般ユーザーに提供して商売をする出版業者の独占的な経済活動を保障するために、それを正当化する大義名分として用いられるに至ったものである(阿部浩二「著作権の形成とその変遷」)。



A.著作権法が芸術・文化とは直接何の関係もないことは、著作権法が出現した時期が、この世に芸術といわれるものが出現した時期よりも何千年もあとのことからも窺える。それはあくまでも、コンテンツの大量複製を可能にした印刷術というテクノロジーの出現により初めて生まれたものである。

 従って、ここから、著作権法の正体を次のように言うことができる(*注2)。

(1)、著作権法の目的・本質は、表向きの目的・本質(著作者の権利を擁護し、芸術・文化を育成する)とは別に、大量複製を可能にするテクノロジーを用いた産業経済秩序を維持するためのものである。

(2)、また、著作権法の主役は、表向きの主役(=著作者)とは別に、かつての出版業者、現代でいえば出版社、レコード会社、映画会社、テレビ局といった著作権ビジネスの企業であり、著作者はそれらの脇役・端役にすぎない。

(3)、さらに、著作権法の性格は、表向きの性格(個人法=著作者という個人を保護するための法律)とは別に、企業法=著作権ビジネスの
企業の経済活動の正当な秩序を維持するためのものである。

* 注2
 なぜ、こうもきっぱりと、「著作権法は、著作者の権利保護のための法律ではない(より正確には、法律になっていない)」と言われてしまうのか?
→その端的な理由:契約に関する規定がない、つまり、著作権に関する契約において、弱者たる個人の著作者を保護するための条文が全く欠落しているから。
ほかの法律にたとえて言えば、雇用関係についてなら労働者を守るための労働基準法、借地借家関係なら借主を守るための借地法・借家法、消費関係なら消費者を守るための消費者保護法といった法律によって、強者と弱者間の契約関係において両者ができるだけ対等な関係になるように様々な規制を設けている。ところが著作権法では、これだけ長い歴史がありながら、こうしたことをまともにやった改正は1回もない。いつも忙しくそうにいろいろな改正をやっているが、しかし、強者と弱者の当事者間の契約関係に実質的な平等を実現し、著作者・実演家の立場を守るような改正をしてきたことは全然ない。
だから、著作者の権利保護のための法律ではないと言われてもしょうがない。
それどころか反対に、こともあろうに契約における強者擁護の条文(著作権法29条・ワンチャンス主義)すら置いている有り様なのだから。

2−2、著作権法の正体を見通していないため生じる無用な混乱について

 これまでの著作権法の原理:表向きは権利本位で構成されていて、複製権中心主義の建前。

そのため、          
@ 一方で、複製権帝国主義ともいうべく、形式的な複製行為が訳もなく幅を利かせ、関係者を無用な心配・混乱(違法行為に荷担しているのではないかという)に陥れてきた。

A 他方で、複製権の発想の延長線上では理解できない制度、とりわけ近時新設された諸々の制度については、複製権中心主義からするとこれが突然変異のように見えて、なぜこのような規制が認められるに至ったのか、意味不明だった。


                   
<実例>
@について

(1)、一時蓄積の問題をめぐって
 パソコンなど現代の電子機器の多くは、内部のメモリーに一時的にせよ、著作物が蓄積されるような仕組みになっている。また、現代のネットワークは、著作物が流通する際に至る所で著作物の一時的な蓄積が起こる。ところが、これを形式的、機械的に複製権の行使だと捉えると(その結果、こうした一時的な蓄積に際しても、いちいち著作権者の許諾が要するとなると)、事実上、こうした電子機器やネットワークは使用不可能になる(「コピーライト」97年3月号29頁参照)。

 しかし、これは著作権法の正体を表向きの原理である権利本位(複製権中心主義)の体系と捉えることに由来する誤りであって、その本来の原理である「テクノロジーを用いた産業経済秩序を維持するため」のものと捉えれば、何の問題もない。要は、複製権の保護とその限界は、複製権の形式的な定義から導かれるのではなく、あくまでも「テクノロジーを用いた産業経済秩序を維持するため」からその範囲を導いていけばいいからである。

(2)、私的複製の問題をめぐって
 家庭内録音・録画のような私的複製の問題をどのように考えたらいいのか、これまで複製権中心主義の建前からはすっきりした答えはなかった。

 しかし、産業経済秩序の維持を任務とする企業法の立場からは、すこぶる明快に説明できる。
 つまり、企業法たる著作権法は、あくまでも社会的な産業秩序に関して規制を及ぼすべきであって、それ以外の(家庭内といった)私的な領域まで踏み込むべきではない、と。
       ↓
 この立場を明らかにしていたのが、故松井正道弁護士。
 彼は、家庭内録音・録画のような私的複製の問題は、法が関与すべきでない倫理の問題であると言った。つまり、彼がこのように倫理のことを言ったのは、ほかでもなく著作権法を企業法と捉え、その企業法の及ばぬ領域として私的複製を見ていたからである(「コピーライト」96年9月号46頁参照)。(*注3
       ↓
 もっとも、その後、松井弁護士すら思いもよらない形で新しい問題が出現したのである。
 それがインターネットである。

 インターネットの出現により、これまでなら単なる家庭内、個人的な領域にとどまると思われる現象がそうではなく、文句なく社会的な現象に変貌したのである。つまり、個人のホームページへのコンテンツのアップといった行為が、実は、もはや私的な領域の出来事ではなく、「全世界に向けて情報発信する」(=世界中からコンテンツの複製可能な状態の出現)社会的な領域の出来事としての評価を受けるようになったのである。

 その結果、インターネットによる情報発信を実行する限り、それが家庭内でやられようとも、もはや私的領域の問題とは見なされず、社会的な産業秩序にかかわる行為として、企業法の著作権法の規制を受けざるを得ない。

*注3
但し、だからといって、家庭内録音・録画を単に放任していいという訳ではない。
そうではなく、この問題をあくまでも企業法の枠内で処理すべきだというのである。つまり、現行著作権法(31条2項及び104条の2〜11)でも実際はそうしている通り、本来、著作者と録音・録画機器及び記録媒体の製造業者たちの間で処理すべき事柄である。

Aについて
(1)、頒布権(70年新設)、譲渡権(99年新設)、貸与権(84年新設)の根拠について
 特長:これらの権利の内容として、どこにも複製或いは放送・上映といった無形的な利用行為(-=複製行為の変種)の要素は認められない。
     ↓
そこで、これがどうして権利として認められることになるのか?複製権中心主義の建前からは説明が困難。
     ↑
しかるに、著作権ビジネスの産業秩序維持の観点からだと説明が容易、なおかつその批判もまた可能。

  ex.頒布権:劇場映画に関する配給網という流通をコントロールする必要があるため。
     貸与権:レンタルという方式が著作物利用の有力な形態に成長した産業秩序を放置すべきでない

(2)、所持行為に関するみなし規定(113条)の根拠について
 ここで禁止されている所持(1項2号。88年新設)や使用(2項。85年新設)や権利管理情報の改ざん(3項。99年新設)といった行為:何か複製的な行為或いはこれに類する行為が存在するというわけではない。
     ↓
そこで、これがどうして権利として認められることになるのか?複製権中心主義の建前からは説明が困難。
     ↑
これらの立法趣旨:著作権ビジネスの産業秩序維持の観点から見ていかにも不当なことが行なわれているので、これを取り締まるということであって、産業秩序維持の観点からすこぶる単純明快に説明が可能。

3、 著作権法の現代における変容

 著作権法は、毎年、盛り沢山の華々しい改正がくり返されてきていて、それだけ見ていると、一見、著作権法の華々しい変容がなされているように見える。

 しかし、著作権法の本質がテクノロジーを用いた産業経済秩序を維持することにあることさえ理解すれば、昨今の技術革新により次々と新しいテクノロジーが出現するに伴って、これらの新しいテクノロジーを用いた産業経済秩序維持のために法律改正が次々と実施されることになるのはごく当り前のことであって、それは退屈ですらある(おまけに、ただでさえ悪文の著作権法がますます分かりづらくなる)。

著作権法の恐るべき変容はそんな華々しいところにはない。

著作権法の真に革新的な変容は、著作権法の表向きの目的・本質、表向きの主役、表向きの性格というものを、名実共に著作権法の目的・本質、主役、性格に転換してしまうような変容のことである。

これは著作権法がこの世に誕生して以来数百年の間一度もなかったような変容である。

それを推進する最大の原動力が、同じく最新テクノロジーのひとつであるインターネットの出現である。では、これがいかなる意味で、画期的なのか。

 従来、著作権ビジネスは、コンテンツを制作する著作者とこれを利用する一般ユーザーとの間に、必ず、コンテンツを複製・頒布する業者がおり、彼らの存在なしにはコンテンツを広く世に提供することは不可能であった。なぜなら、コンテンツを複製・頒布するためには、多額の資金と組織が必要であって、それは個人の著作者の手に余ることであったから。

 実は、(今から思えば)こうした条件に支えられて、著作者と一般ユーザーとの間に介在して、コンテンツの流通を支配する出版社、レコード会社、映画会社、テレビ局などの企業が著作権法の主役として活躍し得たのである。つまり、真ん中に主役を置いて、コンテンツが著作者から主役を通して一般ユーザーに流通するという構造、これが著作権法がこれまでずっと前提にしてきた基本構造であった。

  

 その後、テクノロジーの進歩に伴って、家庭内録音・録画の機器が普及し、かつてはあり得なかった一般ユーザーレベルにおける広範な私的複製が一時期大問題となったが、しかしこれによっても、この基本構造自体が揺らぐことはなかった。

  

 ところが、変化は全く思いがけないところからやってきた。それが元々軍用目的で始まったインターネットというテクノロジーである。

 このテクノロジーが画期的なのは、これまでコンテンツを世に流通させるためには、資金と組織を擁する企業の介在が不可欠であったのに、インターネットの活用によって、著作者は、個人として、コンテンツを広く一般ユーザーに直接提供することが可能になったことにある。この新しい条件の出現に伴って、これまでコンテンツの流通に介在し威張っていた企業は理論上は粗大ゴミのごとき無用の存在に転落する。それはまた、同時に、これまでの著作権法が大前提にしていた基本構造を根底から破壊するものであった。その結果、著作権法の目的・本質、主役、性格などに決定的な変容を招来することになる。

 
      
 これが、この間の著作権法の改正では全く捉え切れない、日夜じわじわと浸透している著作権法の恐るべき変容である。

 以上から、インターネットの時代は、創造的なコンテンツを制作できる優秀な個人の著作者が制作と流通を自らコントロールできるようになる時代である。つまり、個人が主役になれる時代である。このように、インターネット時代の画期性を肯定しようとき、今後、著作権法の方向は、
その主役は、名実共に、個人としての著作者であり、

その性格も、名実共に、個人法=著作者という個人を保護するための法であり、

その目的・本質も、名実共に、個人としての著作者の権利を擁護するためのものである

ということができる。

それは、個人の権利擁護という理念の復興・再生という意味で、インターネット時代こそ著作権法ルネサンスと呼ぶに相応しい。

4、 著作権法の未来1――著作権法ルネサンスはどういう内容を持つようになるのか――

 では、「インターネット時代の画期性を肯定しよう」とするこうした法的な価値判断に基づいて、著作権法の未来を構想して行った場合、具体的にいかなる内容が盛り込まれることになるだろうか?

@.個人本位の体系を再構築
(1)、団体本位の扱いを極力廃止。
  →T.法人著作を廃止し、担当社員個人の著作と認める。
特許法では、昔から認められてきたもの(職務発明)で、むしろこの方が原則。

   U.放送事業者(英語ではちゃんとbroadcasting organizationsとなっている )以下の隣接権者も法人である以上、隣接権者から除外。
     元々、放送事業者等に、彼らの創造的活動などなく、隣接権者と認められること自体に合理性がなかったのだから。

(2)、編集者・プロデューサーに固有の権利を明文化。
今までとかく作家・監督などの陰に隠れて黒子扱いをされてきた編集者・プロデューサーに対し、彼らの創造的活動に相応しい固有の権利を認め、これを明文化すべき。

A.自由で平等な(=フェアな)契約関係の形成をめざす。
(1)、契約内容そのものへの関与:フェアな契約内容になるように、契約内容について国家=法が積極的に関与
→T.著作者と実演家の契約的地位を改善するために作成されたドイツの著作者契約法案(本年5月作成) などを手本にする(「コピーライト」本年7月号40頁の「著作者と実演家の契約的地位を改善せよ」にその詳細が述べられている)。

U.少なくとも、著作者と実演家の契約的地位をむしろ改悪するために国家が積極的に関与しているとしか思えない悪法部分はすみやかに撤廃すべき。
  ex.映画の著作権の帰属について:著作権法29条
    実演家の権利について:ワンチャンス主義(著作権法91条参照)

V.著作者が誰に著作物管理を任せるかについての選択の自由を保障
  仲介業務法の改正でようやく実現へ

(2)、著作者の経済的地位の向上:弱者である著作者の経済的地位を相手方と対等になるように引き上げるための積極的な助力
   →T.制作・流通の資金面
      資金援助のため、私的又は公的ファンド設立に関する法律を制定すべき。
      ex.98年に施行された投資事業有限責任組合法を、もっと著作者の制作・流通用の資金向けに改良充実させる(「投資事業有限責任組合法」編者中小企業庁振興課。発行通商産業調査会を参照)

    U.制作・流通の共同事業面
個人の著作者が共同して制作・流通を実施できるようにするため、共同事業育成のための法律を制定すべき。
      ex.中小企業協同組合法を、もっと著作者の協同事業向けに改良充実させる(「中小企業等協同組合法の解説」編者中小企業庁指導部組織課。発行ぎょうせいを参照)

Bネット配信を促進するためのインフラの整備・経済的弱者への助成の必要性
 既に、電子的権利管理情報の改変に対する規制(著作権法113条3項)が新設済み。
 しかし、これ以外にも、今後、次のような法の整備が不可欠。
(1)、公共財への積極的な助成と必要な規制
  ネット上でコンテンツを検索できるようにするための制度(データベース等)=公共財としての位置付けの下に、これに対する必要な助成や規制を実施。

(2)、「デジタルデバイドの是正」の観点からの助成
  弱者である個人の著作者も容易にネット配信に参加できるように、参加経費を助成するなどの積極的な措置を実施

Cかつてのローカル法ではなく、今や基本法に変貌したことへの自覚が必要不可欠
 (1)、憲法の理念との整合性・調整を自覚的に追及
→T.財産権としての著作権が憲法29条の理念の中にあることを自覚
     →情報公開法における著作権の制約の合理性

    U.知る権利や報道の自由との衝突・調整の必要性を自覚

 (2)、民法・刑法との関係を自覚的に追及
→T.無体物である著作物について担保法の全面的な吟味。
   著作権に関する契約について契約法の全面的な吟味。

  U.無体物である著作物(情報も含む)に関する刑事問題の全面的な吟味。

  (3)、独占禁止法などの経済法その他の特別法との関係を自覚的に追求
→ とくに、著作者と実演家の契約的地位を改善するための条文が著作権法の中にない以上、当面、独占禁止法がその代役として極めて重要な意味を持つ。

 (4)、民事訴訟法など裁判手続法との関係を追求
ネット時代においてはもはや一国裁判所主義は通用しない→世界裁判所主義への転換:国際裁判所(国家権力を前提にした従来の裁判所とは根本的に異質な国際紛争解決機関となることも含めて)の創設に向けての探求が不可欠。

  (5)、循環型経済社会の中で、著作権法を再び位置付け直す必要を自覚
    ex.新古書店の急増問題←単に現行著作権法の枠内だけでは解決が困難な面があり、「循環型経済社会における著作権法」という新しい問題意識の導入が不可欠

  (6)、倫理との緊密な関係を自覚
 著作権法が基本法に成長したにもかかわらず、以上述べた通り、それに相応しい法的な対応が全く後手に回っている以上、当面、その穴を埋めるのは倫理(モラル)である。それゆえ、モラルとの緊密な関係の必要性を自覚し、モラルが著作権法に語りかけるところに鋭敏に耳を傾けることが極めて重要となる。

D蛇足だが、どうしても言っておきたいことがあり。それは、著作権法の公開を!

 著作権法はもともとその本質がテクノロジーの法律なのだから、テクノロジーの進歩に伴い、著作権法がテクノロジーの世界を反映してますます専門化し、難解になることが避けられない。そのことは認める。
 
 しかし、それにしても、昨今の著作権法の条文は殆ど意味不明である。これではまるでお経みたいなものではないか!或いはプログラムで言えば誰にも読めないオブジェクトコードみたいなものではないか!もともと、法律はそれに縛られる一般国民に向けて制定されたものである。それゆえ、それに拘束される一般国民が読んでちゃんと理解できるように予め表現されていなければならない。ましてや、今や著作権法は、かつてのように一部の著作権ビジネスの業者向けのローカルな法律ではなく、一般国民の生活に深く影響する民法パート2ともいうべき基本法に変貌をしているのだから、一般国民が理解できるように表現を用意周到に工夫することは必要不可欠の要請である。しかも、著作権法はもともと表現の工夫に関する法律なのだから、その法律自体が表現の工夫に関してこんなに鈍感であっては困る。

 また、昨今話題になっている情報公開とは、単に内部にしまわれた情報が外に出されることだけではなく、それ並んで、既に外に出されている情報が誰にとっても理解可能な形式でもって表現されていることも含む筈である。なぜなら、でないと、その情報は結局のところ、情報の読み手にとって公開されていないにひとしいというべきだから。その意味で、著作権法は今なお完全に公開されているとはいえない。
 著作権法は、一般国民に向けて完全に公開されなけばならない。

 そのためには、言語という伝統的な表現形式にこだわらず、表や図など誰にも分かりやすい新しい表現形式をどんどん採用することに躊躇う理由はない。なぜなら、著作権法はもともと表現の工夫に関する法律なのだから。

 もしそういうことを立法担当者が躊躇うのであれば、そのときは、彼らに代わってNGO的な民間組織が、「法律家でも分からない著作権法」を「サルでも分かるような著作権法」に変換する試み(あたかも人には読めないオブジェクトコードを読めるようなソースコードに変換するように)にチャレンジすべきだと思う。多少のあいまいさがあっても、何も分からないより一般国民にとってはずっとましなのだから。

5、おわりに
 以上述べたことは、ネット時代のコインの表――生理的な現象面――であって、もうひとつコインの裏――ネット時代の病理的な現象面――が残っている。しかし、史上未曾有な出来事であるグローバルな不正コピーの横行といった病理現象の問題にしても、まずはコインの表の意義を十分把握できてみて初めてこれにも対応できる筈である。その意味で、ここではコインの表を解読しようと試みたのである。

以上 



参照条文

★著作権法26条
  (頒布権)
第二十六条 著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有す
る。
2 著作者は、映画の著作物において複製されているその著作物を当該映画の著作物
の複製物により頒布する権利を専有する。

(平十一法七七・見出し1項2項一部改正)

★著作権法26条の2
(譲渡権)
第二十六条の二 著作者は、その著作物(映画の著作物を除く。以下この条において同
じ。)をその原作品又は複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつて
は、当該映画の著作物の複製物を除く。以下この条において同じ。)の譲渡により公衆
に提供する権利を専有する。
2 前項の規定は、著作物の原作品又は複製物で次の各号のいずれかに該当するもの
の譲渡による場合には、適用しない。
 
一 前項に規定する権利を有する者又はその許諾を得た者により公衆に譲渡された
著作物の原作品又は複製物
 
二 第六十七条第一項若しくは第六十九条の規定による裁定又は万国著作権条約
の実施に伴う著作権法の特例に関する法律(昭和三十一年法律第八十六号)第五
条第一項の規定による許可を受けて公衆に譲渡された著作物の複製物
 
三 前項に規定する権利を有する者又はその承諾を得た者により特定かつ少数の者
に譲渡された著作物の原作品又は複製物
 
四 この法律の施行地外において、前項に規定する権利に相当する権利を害するこ
となく、又は同項に規定する権利に相当する権利を有する者若しくはその承諾を得た
者により譲渡された著作物の原作品又は複製物

(平十一法七七・追加)

★著作権法26条の3
(貸与権)
第二十六条の三 著作者は、その著作物(映画の著作物を除く。)をその複製物(映画
の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除
く。)の貸与により公衆に提供する権利を専有する。

(昭五九法四六・追加、平十一法七七・旧第二十六条の二繰下)

著作権法29条
(映画の著作物の著作権の帰属)
第二十九条 映画の著作物(第十五条第一項、次項又は第三項の規定の適用を受ける
ものを除く。)の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に
参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する。

著作権法91条
第二節 実演家の権利

(録音権及び録画権)
第九十一条 実演家は、その実演を録音し、又は録画する権利を専有する。


著作権法113条
(侵害とみなす行為)
第百十三条 次に掲げる行為は、当該著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権
を侵害する行為とみなす。
 
一 国内において頒布する目的をもつて、輸入の時において国内で作成したとしたな
らば著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となるべき行為によつ
て作成された物を輸入する行為
 
二 著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権を侵害する行為によつて作成さ
れた物(前号の輸入に係る物を含む。)を情を知つて頒布し、又は頒布の目的をもつ
て所持する行為

2 プログラムの著作物の著作権を侵害する行為によつて作成された複製物(当該複製
物の所有者によつて第四十七条の二第一項の規定により作成された複製物並びに前
項第一号の輸入に係るプログラムの著作物の複製物及び当該複製物の所有者によつ
て同条第一項の規定により作成された複製物を含む。)を業務上電子計算機において使
用する行為は、これらの複製物を使用する権原を取得した時に情を知つていた場合に限
り、当該著作権を侵害する行為とみなす。
  
3 次に掲げる行為は、当該権利管理情報に係る著作者人格権、著作権又は著作隣接
権を侵害する行為とみなす。
 
一 権利管理情報として虚偽の情報を故意に付加する行為
 
二 権利管理情報を故意に除去し、又は改変する行為(記録又は送信の方式の変
換に伴う技術的な制約による場合その他の著作物又は実演等の利用の目的及び態
様に照らしやむを得ないと認められる場合を除く。)
 
三 前二号の行為が行われた著作物若しくは実演等の複製物を、情を知つて、頒布
し、若しくは頒布の目的をもつて輸入し、若しくは所持し、又は当該著作物若しくは実
演等を情を知つて公衆送信し、若しくは送信可能化する行為

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