9.11/97
今朝ほどメールを出しまして、つらつら考えているうちに、ふとインターネットの原理的なイメージが浮かび、それで、殆ど全ての問題が分かりました。
要するに、インターネットの基本コンセプトは、徹底した個人主義なのだということです。
例えば、それまでホストという言葉を聞いてもそのイメージが今一つピッタリ来なかった。むしろ、それまでのパソコン通信のホストコンピュータのような性能のイメージでしかなかったのです。でも、インターネットでは、私のようなちゃちなパソコンでもいやしくもインターネットの世界に参加する以上、れっきとしたホストになれるのですね。そのホストになれることが分かったら、それに識別のための名前をつける必要性も明快に分かります。だから、IPアドレスの存在意義も明快です。ただ、IPアドレスの付け方に当たって、個々のコンピュータが実際は何かしらのネットワークに所属している現実がある以上、その現実を踏まえて、名前を付ける際に、そのネットワークのIDと個々のコンピュータのIDの2つの要素から構成されるという名前の付け方をしたわけですね。
だから、原理的には、2台とか3台しかないネットワーク(我が家のLAN)でも、そのネットワークのIDと個々のコンピュータのIDの2つの要素から構成されるIPアドレスが可能なわけですね。それで、OCNのサービスを申し込むときに、3台しかつながらない私のようなものでも、IPアドレスを取得することになるわけですね(それまでは、IPアドレスの取得など何をだいそれたことを、と思っていたのですが)。
そのように考えると、専用線を引くということは、いかにちゃちなパソコンであろうと、そのパソコンが自分独自のIPアドレスを持つということですね。それがもし2台あれば、それぞれが独自のIPアドレスを持つということになるわけですね(もちろん1台だけ持つことにして、もう1台はただの端末みたいにしてもいいのですね)。
その意味で、インターネットの原理的なイメージというのは、徹底した個人主義の立場から、様々なネットワークに所属する個々のコンピュータがホストとして専用線を通じて結ばれ、コミュニケーションをしているということになるのでしょうか。
これさえ分かれば、私がやっているダイヤルアップ接続のこと(IPアドレスとの関係)やプロバイダーの本質などもすっきり分かってきます。
ということで、このイメージさえ掴めたら、どんなにかすっきりしたことか。でも、世の文献は、こうした基本的なコンセプトとか原理的なイメージに置き換えてそれをなかなか明記してくれない、知識だけはごまんと提供してくれる癖に。
殆ど自分のために書きました。
これから、伊佐沼に出かけてきます。もうシステムという虚構の世界のことばかり考えて時間が過ぎるような消耗な生活はしたくないです。その反対に、何時でも、伊佐沼に出かけても仕事が出来るように(場所と時間の自由を獲得するために)、この間、LANを構築してきたのですから。
これ、さらば。
Copyright (C) daba