インターネットの著作権問題
----メールによる質疑応答2----

9.10/97



コメント

 インターネットの現場で仕事をしている人から現場で生じた質問を受け、それに対する回答を試みたもの。 


著作権のご相談の件ほか

大庭さんへ

メールをどうも。

まずは、著作権問題から。

> > 今回の大庭さんの言っているシステムも、結局は、みる人に著作
> > 物を閲覧可能な状態を作出するものであるという点で、その意味で、これも「他人の
> > 著作物を自分のホームページにアップロードした場合の著作権問題」の一ケースとい
> > う風に理解されるべきです。
> (翌日の「つづきのコメント」も読みました)
>
>  これについて柳原さんを説得できなく、実に歯がゆい気持ちなのですが、なんとか
> 反論しようと思っています。手がかりが少なく、何とかならないかと思ってメールを
> 読んでいましたら、以下の文章がありました。
>
> >単に、口で或いはメモで、「ひ
> >まわりの輪郭抽出の条件、その明度、彩度、色相の変更量を数値で具体的に示す」と
> >言ったり書いたりしただけでは、もちろん著作権侵害にはなりません。単なる計画に
> >すぎないからです。
>
> これなのです。計画を提供することは許されているはずです。それを実行するかどう
> かは個人の選択によるので、実行する前の計画書(公開するVODスクリプトは計画書
> であり中身はないのです)の段階では著作権侵害は関係ないのです。
> この後で計画を実行すると著作権侵害となるのだと言うのだと思いますが、しかし、
> この時点の行為は、個人の行為になり、著作権問題は急に著作物の個人の私的な利用
> に問題が変わっているのではないかと思ってます。

だんだんポイントが絞られてきまして、今回、まず明らかになったことは、私がVODスクリプトなるものを見たことがなく、まだ正確なイメージを持っていないことです。
これは私の怠慢であり、この種の議論をする資格がないといわれても仕方がありません。

そこで、付け焼き刃で、スクリプトを事典が調べたところ、どうも、プログラムのような記述がなされているものと理解していいみたいですね(随分安易ですが(^_^))。

 そこで、ここでのポイントは次のように言うことが出来ます。このVODスクリプトなるものを作成した段階で、いかなる著作権問題が発生するか、と。

 この点、私は、先日のメールで、次のようにいささか安易な書き方をして、それを大庭さんに悪用(^_^)されてしまいまいした。

> >単に、口で或いはメモで、「ひ
> >まわりの輪郭抽出の条件、その明度、彩度、色相の変更量を数値で具体的に示す」と
> >言ったり書いたりしただけでは、もちろん著作権侵害にはなりません。単なる計画に
> >すぎないからです。

でも、これはもう少し用心深く次のように、付け加えなければなりませんん。

> >単に、口で或いはメモで、「ひ
> >まわりの輪郭抽出の条件、その明度、彩度、色相の変更量を数値で具体的に示す」と
> >言ったり書いたりしただけでは、もちろん著作権侵害にはなりません。単なる計画に
> >すぎないからです。しかし、それが計画の段階を越えて、確定的な形で示された場合に至ったときは、無断翻案行為の一歩が始まります。

もう少し、分かりやすい例を出すと、ある小説をもとに映画を作成することは、その小説の翻案権を行使することになるとされ、小説家の許諾がいります。しかし、それは厳密には、その映画を作成した段階で許諾がいるのではなく、その前段階の映画の脚本を作成した段階で許諾がいるのです。逆に言えば、許諾なしに脚本を書くことはそこで著作権侵害が発生するのです。

というのは、脚本自体が立派な著作物であり、ここでは小説を原著作物として二次的な著作物に該当するのです。したがって、それは原著作物の著作権者に無断で作成することはできない。

これに対し、でも、これは単に1部しか作成していないのであり、いわば私的使用に該当するのではないかと、という異論が出そうですが、もし、原作者の許諾を得ない映画であれば完成フィルム1本を作成すればそれだけで著作権侵害が成立するのは理解できるように、脚本でも一冊執筆しただけでも、私的使用には該当しません。なぜかというと、私的使用を定めた著作権法30条(翻案の場合にはさらに43条)はあくまでお私的な使用を目的とした複製をのみ許容しているのであって、映画として公に公表するつもりで脚本を作成するのは、この要件を満たしていないからです。

この脚本と同じようにVODスクリプトを考えたいというのが私の意見です(VODスクリプトのイメージもろくろくない癖に随分と生意気ですが(^_^))。、
つまり、VODスクリプトは決して映像そのものではないが、しかし、映像を作成する計画書という意味では、ちょうど映画の設計図といわれる脚本と同じ機能を果たしているからです(それは、大庭さんがVODスクリプトを評して「実行する前の計画書(公開するVODスクリプトは計画書であり中身はないのです」と言ったことと同じです)。

それに、VODスクリプトがこれ自体独立した著作物であることは大庭さんも認められると思います。そうすると、それは、いかなる意味・性格の著作物かというと、
第1に、編集前の映像に基づいてそれを編集しようとしたものであり、
第2に、編集の結果を具体的に実現するための橋渡しするための計画書である
といった性格のものだと思うのです。

その意味でも、これは映画の脚本の場合と同様に考えていいのだと思います(もっとも、映画では、2の段階で映画監督の創造性が発揮されますが、このVODスクリプトでもそのようなことがあるのでしょうか、もしそれがなければ脚本の場合以上にVODスクリプトが中核的な著作物ということになります)。

また、大庭さんは

> この後で計画を実行すると著作権侵害となるのだと言うのだと思いますが、しかし、
> この時点の行為は、個人の行為になり、著作権問題は急に著作物の個人の私的な利用
> に問題が変わっているのではないかと思ってます。

のように、言いますが、いろんな意味でこれには異論があります。

そもそも、「この後で計画を実行すると著作権侵害となるの」ではなくて、(適法な)単純な私的利用(複製)の問題にとどまると思います。もっとも、大庭さんの、私的利用(複製)の問題に対する理解を確認していないので、あまり突っ込んだ議論はしませんが、もっかのところ私は著作権法はあくまでも著作権ビジネスに関する経済的秩序を規制する法律であると考えているので、個人が私的な利用のために複製するという領域の行為に対しては法は立ち入らない、自由放任にするという立場です。この場合であれば、そのようなWWWサーバから著作物をダウンロードできるように仕組んだ側の者が著作権法上の責任を負うべきだと思います。

まあ、これはこれくらいに。ちょっと疲れてきたので、残りは簡単に。

>  これに対して「計画を実行できる手段を提供した者の責任が問われる」とのことで
> したが、本当は善意で利用することを前提に提供した手段が悪用されたからといって
> 責任は問われないのではないかと思ってます。 
>  これ等はちょうど「不特定者の殺人実行計画書を作ること」は殺人に当たらず、そ
> の実行計画に用いる武器を提供する事も法律が許す範囲であれば問題にならないはず
> です。それに元づいて殺人を実行した人がいると罪を問われるのですが、著作権法で
> は殺人者(著作権侵害者)に著作物の個人的な利用と言う免罪符が与えているのです
> 。(ここに基本的に一貫性をもってない著作権法の不備があるのです)これでは著作
> 侵害が問えなくなってしまう(法律的な不備がある)ので、殺人実行計画(著作権侵
> 害)に用いる武器を提供(VODスクリプト実行手段)した者に罪をきせるとするのは
> 、おかしな展開だと思いますし、殺人の場合はこの様な展開にはならないはずです。
>  この辺のモヤモヤした気持ちがどうも柳原さんの説明では納得できなく、著作権法
> 自身に根本的な不備(保護しすぎ?)があるのではないかと思ってます。(生意気な
> 言い方ですが)。

今、大阪地裁かで、インターネット上を流れる猥褻写真のぼかしを削除するソフトを作成・頒布した人が猥褻文書頒布か何かの幇助(助ける罪)で刑事裁判にかけられていますが、これと似ていますね。

大庭さんの意見も分かりますが、私の考える例ではどうなりましょうか。
たとえば、インターネット上で、サリンとかの猛毒を(郵送で)無償配布しますと、殺人用として強力な手段であることが見る人に分かるようにして発信した場合(もちろん本気で用意してあるものと仮定します)、どうでしょうか。

もちろんこの場合、この情報を発信した人は殺人罪そのものにはなりませんが、しかし、殺人の幇助(助ける)が成立するかどうかについては、結構微妙な問題がおきると思います(もっとも、これも刑法にいう犯罪とは何かという古典的な根本問題が大議論になるはずですが)。

共犯の成立に厳格な刑法でさえ、このような微妙な問題を持っているのに、刑事よりはアバウトな民事では、(あくまでも一般論ですが)余計、この種の大衆に著作権侵害の機会を提供するような場合に共同で著作権侵害が成立すると認められるケースが増えると思います。

私が、本件でVODスクリプト編集ツールの作成者に著作権侵害が成立するかしないかの分かれ目は、このツールがもっぱら今回のWWWサーバにアップロードするためのVODスクリプトだけのものなのか、或いはもっと汎用性があるものなのか、によると思います。例えば、Photoshopを使えば立派に著作権侵害の編集行為が出来るわけですが、しかし、これはそれ以外にも様々な機能を備えており、決して著作権侵害の編集行為をするためだけのツールではありません。

或いは、カセットデッキやカセットは、実際は、ラジオ・CDから音楽の無断複製をするために大いに利用されているわけですが、しかし、カセットデッキやカセットそのものは、ほかにも語学用の録音などいろんな目的のために使われており、決してミュージックの無断複製用として作られていません。その意味で、カセットデッキやカセットのメーカーは(実際は、家庭内でラジオ・CDから音楽の無断複製が横行にするにもかかわらず)著作権侵害の責任を負わせられているわけではありません。もっとも、この音楽の無断複製の横行という実態を踏まえて、一定額の補償をするように著作権法で別に定められましたが。


どうも、漫然としてきて、申し訳ありません。

ですが、こういった最先端の議論というのは、マルクスがどこかで言っていたという「人間の解剖は猿の解明の鍵である」という通り、実は古典的な著作権の議論の矛盾や本質を改めて鋭く問い直すものです。第1、著作権法は、そもそもこれほどまでに世界中が結びつきあうシステムであるインターネットなんか予想もなにもしてなかったのだから、インターネットとそれまでの領域とは別の規制をしても全くおかしくないのです。その意味で、著作権法をそのままインターネットに持ち込んで足れりというのは、全く根拠がない。でも、私は、では、どういう規制の仕方がインターネットの実態にふさわしいものなのか、については、自分でも実態に対する体験と認識の不足もあって、まだよく分からないと言うのが正直なところです。それは、まるで、インターネットの住民たちの無意識の確信というものを意識化にさらけ出す作業というものに似ています。

>  柳原さんが言わんとする事はかなり判るのですが、まだ釈然としない部分があり、
> もう少し書かせて下さい。(最後のあがき かな!)

 ここからもお分かりだと思いますが、事実、私は、こうして大庭さんと対話しているプロセス自体が、現場にいる大庭さんの無意識の確信めいたものに大庭さんが言語表現という形式を与えるというすぐれて人間的な営み(というか、それとも格闘?)だと思います。
それで、その営みが面白くて私もついはまってしまったのです。反岡君のと同じですね。

>  構成図を職場の若い者に見せましたら、たくさんパソコンを持ってる人だと感心し
> てました。また、SOHOを知らなかったので、その男に内容を聞きました。また、図書
> 館ですこし文献を読み、勉強になりますた。柳原さんと差が付いてしまったような気
> がします。

でも、昨年の夏まで、オンボロのPerforma520を1台しか持っていなかったのです。これは、大庭さんというすぐれたオルガナイザーにはめられてしまったからではないでしょうか。

> この文書を読んだとき、奥さんに「PowerMac7600/200を購入してあげるのだ」気前の
> 良い人だと思ったのですが、構成図をよく見たら、PowerMac7600/200は奥さん用では
> なく、自分に買ったことが判りました。ようは性能の良いMac.が欲しかったのだ。

正解。初めは、もうちょっと純粋だったのですが、考えを働かせているうちにだんだん不純(^_^)になってしまったのです。欲望は人を誤らせます‥‥しかも、今は、LANを始めたため、CU See-Meを始めたら面白くて2台の間でテレビ電話の中継をしたりといった具合で、どちらも私が使っているという最悪の独裁体制になっています。

> ところで、プリンターの扱いですが、ここまで作られたなら、プリンタをEther Net
> に接続して、どのパソコンからでもプリントできるようにした方がよいのではないか
> と思いました。更に2〜3万円の投資が必要になってしまいますが。

実は、プリンターは全部のパソコンから使えるのです。MACとWINの2本のインターフェイスを備えた珍しいキャノンのプリンターだったもので、これで不自由しません(でも、勉強のためにはEthernetが使えるプリンターを用意するのもいいのかもしれません)

では。

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